「本気で役員を目指す」つもりだった“一流企業の営業マン”が30歳で高校野球の監督になったナゼ…「高嶋先生を超えるには、急がないとヤバいと」
高校時代は名門・智弁和歌山高で春夏あわせて5度の甲子園出場。その後も早大→明治安田生命と、プロこそ行かなかったものの野球のエリートコースを歩んできた。そんな道端俊輔が、今年から鹿児島城西高校の野球部監督に就任した。社会人野球で活躍後、営業マンとしても適性を見せつつあった30歳は、なぜその決断を下したのだろうか。<NumberWebインタビュー全2回の第1回/後編に続く> 【貴重写真】「生涯年収は3億円!?」敏腕営業マンの道を捨てた“野球エリート”道端俊輔と智弁和歌山名将の2ショット&これまでの貴重写真を見る 戦後、甲子園に5季連続で出場した選手は、荒木大輔(早実・80年~82年)や、清原和博、桑田真澄(PL学園・83年~85年)ら甲子園を沸かせたスーパースターを含め、計12人もいるという。 うち智弁和歌山の選手は1/3の4人。17年夏から出場した黒川史陽(楽天)、東妻純平(DeNA)らが直近にいるが、1年夏から捕手の控えとしてベンチ入りした道端俊輔は2009年夏から2011年夏にわたり聖地の土を踏んだ。 2年上のエースだった岡田俊哉(中日)とバッテリーを組み、1年上には西川遥輝(ヤクルト)もいた。その秋から正捕手となり、甲子園での最高成績は3年春のベスト8。3年秋にはAAAアジア野球選手権大会の日本代表に選出され、指名打者としてオールスターチーム(ベストナイン)にも選出されている。
2024年1月、鹿児島城西高の監督就任の報が…
その道端が鹿児島城西の野球部監督に就任するという報道が流れたのは今年の1月だった。道端自身、未踏の地でもあった鹿児島の高校での監督就任に至る以前から抱いてきた“野望”があった。 「いつか智弁和歌山みたいなチームを地方で作って、甲子園を目指したいというのはありました。(智弁和歌山の恩師である)高嶋(仁)先生(監督)が作った智弁和歌山は、地元を大事にして、自分の手で鍛えてきたチーム。そんなチームで甲子園に行って、いずれは高嶋先生を超えたいと思ってきたんです」 今春のセンバツで大阪桐蔭の西谷浩一監督が甲子園通算69勝を挙げ、甲子園最多勝数が塗り替えられたが、それまでは智弁学園・智弁和歌山の高嶋仁元監督の68勝が最多勝利だった。 強打を武器に90年代後半から00年代にかけて智弁和歌山を常勝軍団に築き上げた高嶋仁氏の凄さを、教え子視点で道端はこう明かす。 「自分がこんな言い方をするのはおこがましいですけれど……高嶋先生は当たり前のことを積み重ねる天才だと思うんです。難しいことをするのではなく、基本を大事にしてきて、当たり前をとんでもなく積み重ねて結果を出された方。“当たり前”なことだから、考えを指導に置き換えやすいんです。 そんな指導を間近で見てきて、自分が教わってきた宝物を武器に勝負したいと思って。記録もそうですが、人間としても超えたいというのはあります」 とは言っても、道端はずっと“高校野球の指導者になる”という夢を温めてきたわけではない。 高校時代の目標は、プロ野球選手だった。 高いレベルを求め、智弁和歌山を卒業後は名門・早大の門をくぐった。入学直後、3年上には不動の正捕手・地引雄貴(東京ガスを昨季引退)がいた。地引が卒業後は1年上の土屋遼太(現・JFE東日本コーチ)とのレギュラー争いに勝てず、ようやく正捕手としてマスクを被れるようになったのは土屋が卒業した4年春になってから。小、中、高と下級生から公式戦に出場していた道端にとって、試合に出られない悔しさを味わったのは大学が初めてだった。 だが、スタメンマスクを被るようになると、4年春のリーグ戦を制し、その後の大学選手権でも優勝。春に続いて秋のリーグ戦も連覇すると、秋の明治神宮大会でも準優勝し、学生野球は有終の美を飾った。だが、自分の実力に限界を感じ、卒業後は明治安田生命(現・明治安田)でプレーすることを決意した。
【関連記事】
- 【つづきを読む】「やっぱり僕は甲子園に取りつかれている」智弁和歌山高で甲子園に5度出場…30歳の新米監督が“地元の選手たち”で夢舞台を目指すワケ
- 【貴重写真】「生涯年収は3億円!?」敏腕営業マンの道を捨てた“野球エリート”道端俊輔と智弁和歌山名将の2ショット&これまでの貴重写真を見る
- 【あわせて読む】「プロは無理。次元が違う」大阪桐蔭で藤浪晋太郎と森友哉、大学で山川穂高と吉田正尚…春夏連覇の主将・水本弦がガク然とした“才能の差”
- 【強豪のリアル】専用グラウンド、室内練習場もバスもナシ、ノックの方向は「他の部活を気にしつつ」…でも全国屈指の名門野球部・報徳学園“堅守”のナゾを追う
- 【甲子園ルポ】センバツ“ガラガラ空席”問題「ちょっと悲しいですね」「僕が営業マンだったら気にするんでしょうけど」現地で聞いた本音…“春の甲子園”で何が?