広島オーナー“直談判”で「入れてもらえた」 社会人希望が一転…予想外のプロ入り
金石昭人氏は1978年ドラフト外で広島へ…叔父・留広と“同期入団”になった
通算400勝の伯父さんのプッシュは強力だった。広島、日本ハム、巨人の20年間で通算72勝80セーブをマークした野球解説者の金石昭人氏は、PL学園(大阪)からドラフト外で広島に入団した。「また、金田(正一)さんが出て来たのです」。“カネやん”の愛称で親しまれた大投手で元ロッテ監督がPL進学に続き、プロ入りも後押ししてくれた。 【写真】モデルの美人妻と仲良し2ショット…戦力外になった元広島右腕 1978年夏にPLで全国制覇。金石氏は甲子園でこそ登板がなかったものの、プロ野球に対する意識が芽生え始めていた。 「PLの高いレベルで3年間やれたことで、僕の力も付いたと思いました。練習、トレーニングの仕方を学んだ。精神的な部分も相当鍛えられた。なので、もしかしたら自分でもプロに行けるかも。そういう気持ちになっていましたね」 未来図を描く中、社会人野球から打診を受けた。和歌山市を本拠とする住友金属で、話は具体的に進んだ。ここで正一氏が登場するのだ。 正一氏はこの年限りで、ロッテ監督を退任。ロッテには正一氏の弟、留広投手も在籍していたのだが、広島へのトレードが決まっていた。金石氏にとって叔父にあたる留広氏も最多勝2度、現役通算128勝をマークする程の投手だった。正一氏は広島・松田耕平オーナーに連絡を取った。
“江夏の21球”で「強い広島」実感…打撃投手で全力投球、6年の下積み
金石氏が述懐する。「丁度タイミングが合ったので、“カネやん”が留広さんと一緒に僕を獲ってくれとオーナーに頼んだそうです。うちの甥っ子は、今はまだまだ駄目だろうけど将来的には面白いから、と。それで広島に入れてもらえました」。だから「金田正一なくして僕はないのです」。 この年のドラフト指名は1球団4位まで。「ドラフト外は、今でいう育成契約みたいなものですね」。プロの夢がいきなり実現した。 1年目の1979年、広島は初の日本一に輝いた。日本シリーズで近鉄と激闘を展開し、3勝3敗で迎えた第7戦を守護神・江夏豊投手で逃げ切った。“江夏の21球”のシリーズだ。「僕は2軍で宮崎・日南での練習。テレビで見ていたと記憶しています。『カープって強いんだなぁ』と思いました」。強すぎるが故に金石氏は、6年間もがくことになる。 広島は、金石氏が入団してから1992年に日本ハムに移籍するまでBクラスは1度だけ。エース北別府学、サウスポー大野豊ら層が厚かった。「投手王国でしたからね。1軍のピッチャーの枠が11人ぐらいで、既に10人は決まっている。残りの1枠を巡って、2軍にライバルが10人から15人も存在する感じ。競争が激しかったんですよ」。 2軍の投手はピックアップされ、バッティングピッチャーとして1軍の調整を手伝うことになっていた。金石氏は本番さながらの威力あるボールを遠慮なく放った。「2軍の練習が終わってから夕方に広島市民球場へ通っていました。僕らにとってバッピの機会は、監督にアピールできる時間帯。『おっ、面白いヤツがいる』と印象付けるために一生懸命でした。なので終わるとヘトヘトでした」。