仙台で、支倉常長の慶長遣欧使節400周年を祝う食のイベント開催
支倉常長が旅した国々の料理を味わえる「食と旅する支倉フェスティバル」
仙台市中心部にある勾当台公園で、17日から20日、400年前に太平洋・大西洋を渡り、ローマ法王と拝謁した支倉常長(はせくらつねなが)の偉業を称えるイベント「食と旅する支倉フェスティバル」が開催された。会場では常長の偉業を紹介するパネルのほか、常長が旅したスペインやメキシコなどの料理の屋台が立ち並び、4日間で2万人を超す市民らが訪れて400年前の旅に思いをはせた。
伊達政宗の大使としてローマ法王と対面
支倉常長は、仙台藩主伊達政宗の命を受け、1613年仙台藩領月浦(現・石巻市)を出帆し、1615年にローマに到着した。後にこの使節は「慶長遣欧使節」と呼ばれた。宮城県や仙台市などの自治体や関係団体では、2013年から2015年までの3年間を「慶長遣欧使節出帆400周年」として、さまざまな記念事業を行っている。今回のイベントは、仙台市や仙台観光国際協会などで作る実行委員会が主催した。 慶長遣欧使節は、伊達政宗が仙台領内のキリスト教の布教を認める代わりに、ノビスパニア(メキシコ)との直接貿易を求めて、イスパニア(スペイン)国王とローマ法王のもとに派遣した使節だ。大使に選ばれた支倉常長は、仙台藩内で建造された洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」で太平洋を渡り、メキシコに至り、大西洋を越えてスペインに渡った。スペイン国王フェリペ3世に謁見し、ローマ法王パウロ5世に拝謁するものの、幕府のキリスト教弾圧の影響などから目的を果たすことなく、7年後の1620年に仙台に戻った。 旅の間洗礼を受けた支倉常長は、キリスト教弾圧が厳しさを増す中1621年に生涯を閉じたと言われている。常長が持ち帰った遺品24件47点は国宝に指定され、うち「支倉常長像」など3点が2013年ユネスコの「世界記憶遺産」に選ばれた。
「スペインの風を感じた」
今回開かれたイベントでは、18日に市内のエルパーク仙台で、イタリア大使館員や仙台市民博物館学芸員などから慶長遣欧使節に関する講演があったほか、支倉常長の運命を描く仙台発のオペラ「遠い帆」が上映された。
勾当台公園には17日から20日までの間、常長一行がイタリア到着まで訪れた国々(イタリア・スペイン・メキシコ・フランス・キューバ)にちなんだ料理を楽しめる屋台や、被災沿岸地の特産品が味わえる屋台21店舗が並んだ。中でも人気を集めていたのは、市内のスペイン料理店「オッジ ドマーニ」の大きな鍋で作るパエリア。特設ステージでは、各国の音楽が披露された。東京都から休暇で仙台市に訪れていた光部惇さん(32)は「会場の音楽にも雰囲気があり、スペイン料理もおいしかった。スペインの風と(会場の)暑さを感じました」と話した。(THE EAST TIMES)