「半島の付け根」から切り捨てられないか…過疎化進む輪島市を襲った震度7 住民は「奥能登自体の孤立」に危機感を抱く
鉛色の冬空から降り注ぐ白い雪が、激震で裂けた路面を覆い隠していた。靴底の感覚を頼りに歩くものの、何度も蹴つまずいてしまう。最大震度7を観測した石川県輪島市。能登半島の中でも最北部を指す「奥能登」の一つで、平時から交通不便で知られる。まるで鹿児島県の大隅半島を180度回転させたような地形で、曲がりくねった山道や集落の点在など共通点が多くある。 【写真】今回取材した場所を地図で確認する
市中心部に近い光浦町を訪れた。住家は海岸線に迫る山裾を通った道路沿いに並ぶ。発災後は一時、集落内にある三つの道路全てが崩土でふさがり孤立した。 「逃げ道はどこか。普段から頭に入れておくべきだった」。地元出身の早瀬秀さん(40)に出会った。被災時は妻と3~7歳の娘5人、義姉の計8人で自宅にいた。津波と土砂崩れの危険を感じて高台に避難したものの、気温5度を下回り、日も傾き始めた。「夜の寒さで命を落としかねない」。焦りを感じ、土砂崩れを乗り越えて市街地まで歩くことを決断した。 しかし、崩れた斜面は数十メートルに渡り、滑落すれば海中に真っ逆さま。「震えるほど怖かった。今でこそ命懸けだったと振り返れるが、その時は無我夢中だった」。船舶会社で働く経験を生かし、なぎの瞬間をじっと待った。腹と背に1人ずつくくりつけて抱きかかえると、ライトで足元を照らしながらはうように進んだ。3往復して娘5人を運び出したという。
早瀬さんは右手の拳を左手で包みながら、何度もぎゅっと握りしめた。一呼吸置いてつぶやく。「これが半島で生きる宿命なのかも」。見やったのは灰青色の水平線だった。 ■復旧に「最低10年」 奥能登の中核となる輪島市は人口約2万3000。内外を主に国道など計3本で結んでいるが、このうち2本は地震で使えなくなった。残る1本も路肩が崩れたり、亀裂が入ったりして寸断の恐れが拭えず、大雪による交通規制の懸念も付きまとう。地震に伴う海底地盤の隆起は最大約4メートルあったとみられ、船舶での救援活動を阻んだ。 「集落どころか奥能登そのものが孤立する危機感を持った」。大規模火災で消失した観光名所「輪島朝市」近くで中野洋充さん(38)=河井町=に話しかけると、実情を淡々と教えてくれた。 道路舗装会社に勤め、仮復旧工事に携わっているという。「砂利を敷き詰めているだけで、いずれ全部やり直さなければならない」。仲間内では復旧に最低10年は必要だと話していると明かした。