赤坂芸者は見た! 石原裕次郎、田中角栄ら「昭和の大物」たちの粋すぎる振る舞い
近年、不倫スキャンダルが報じられる際によく、「遊び方が粋ではない」といった指摘がなされることがある。昔の芸能人や政治家はプロ相手に上手に遊んでいた、だから問題が起きなかったというのだ。女性との交流を「遊び」ということ自体、批判の対象となりそうなのが最近の風潮ではあるが、一理あると感じる向きも少なくないようだ。 【写真を見る】赤坂芸者が「“よか男”でしたね」と名指しした意外な超有名人
実のところ、田中角栄、石原裕次郎といった「昭和の大物」たちは、夜の街での人気も高かった。 古きよき昭和の香りで訪問者を魅了した赤坂の料亭「口悦」に長年勤め、2016年春に旭日双光章も受けた芸者、育子さんが「角栄から裕次郎まで」を振り返った貴重なインタビューをご紹介しよう。(以下、「週刊新潮」2017年2月16日号掲載記事をもとに再構成)
田中角栄は優しかった
1940年に熊本で生まれた育子は、地元で長唄の師匠に弟子入りし、芸者見習いの、いわゆる半玉となった。26歳で上京。それが口悦との出合いだ。 「そのころ赤坂には料亭さんが50~60軒はあり、芸者さんは400人くらいいたと思います。口悦さんは特に格式が高くて、赤坂を代表する料亭さん。歴代のほとんどの総理がいらしていると思います」 そう言って田中角栄から思い出話を咲かせる。 「先生は優しい方でした。毎朝はやく家を出るときに、門の前に困った風貌の男性が座っていたらしいんです」 つまり、浮浪者のことだ。 「“お前ひとりならいいけれど、皆には声を掛けるなよ”と、恐らくお金を渡したそうです。それが徐々に人数が増えて行き、5人になっても恵んであげていたという話でしたね。“お前は熊本だから民謡を踊れ”なんて言ってくださって、角栄先生の小唄に合わせて踊ることもありました」
次に、熊本五高卒の佐藤栄作に対して、その「肌の黒さ」を問うたときのこと。 「“俺だって白いところがあるんだよ。足の裏だろ、そして腹だ。腹は白いんだ”と仰いました。市川団十郎みたいに存在感がある、『よか男』でしたね」