横浜高の名将がアポなし訪問 同級生の女子に呼び止められ…注目右腕を動かした“口説き”
高校入学前の練習試合で5回を無安打投球の衝撃
そんな横浜高の有名人でもある渡辺監督が学校から帰ったら家にいたのだから、中田氏が驚いたのは言うまでもない。しかも「ぜひ、うちに来てほしい」と直々にラブコールを送られた。「どんな学校かは全く知らなかったんですけど、選抜で盛り上がったし、もちろん監督の顔も知っていましたから、もうそこで『わかりました』と言いました」。一気にその場で横浜高への進学を決めたという。 渡辺監督が見込んだほど、中田氏の実力は同級生の中では抜きん出たものがあった。「まだ入学前だったかな。(横浜市立)南高校との練習試合に先発して5回ノーヒットでした。南高は(神奈川大会で)ベスト16くらいに入るチームだったんですけどね」。入学後、早速、春の神奈川大会でも11-3で勝った準決勝の新城戦に3番手で投げたし、5-8で敗れた決勝の横浜商戦にもリリーフ登板。春季関東大会2回戦の小山(栃木)戦も試合には敗れたが、2番手でマウンドに上がった。 「1年生で背番号11をもらいました。あの時の横浜高は人気もあって野球部の1年生は最初100人以上いて、それがどんどん減っていったんですけど、最後まで残ったヤツらと話したら、ピッチャーで入ったけど俺の球を見てピッチャーをやめた、と言ったのが何人かいましたよ」。中田氏は笑いながら話したが、振り返れば横浜高時代は「その頃が一番よかったかもしれない」という。思わぬ試練がその後に待ち受けていたからだ。 3回戦で東海大相模に1-5で敗れた1975年、1年夏の神奈川大会後の練習試合で中田氏は右膝を痛めるアクシデントに見舞われた。「そこから高校時代は全力で走ったことがなかったです」。横浜・渡辺監督に口説かれた期待の右腕は、怪我との闘いを余儀なくされていった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi