2015年大河ドラマの主人公は吉田松陰の妹 未知のヒロイン杉文とその周辺
再婚相手の楫取素彦は富岡製糸場の危機を救った
話はドラマに戻って、文さんと国事に奔走する久坂との結婚生活はすれちがいばかり。そして結婚から7年後の元治元(1864)年、禁門の変に敗れた久坂は自刃。22歳で夫に先立たれた文さんは、藩主毛利家嫡男の守役となります。さらに下る明治16(1883)年、美和子と名を改め亡き姉寿(ひさ)の夫で初代群馬県令の楫取素彦(かとりもとひこ)と再婚。ドラマでは、ここからの群馬編が第4幕となるようです。 群馬編で大きな役割を占めそうな楫取(旧名小田村伊之助。松陰の親友であり、ドラマでは文が松陰との出会いに大きく関わります)は、幕末期、他藩や公家との交渉に活躍。薩長同盟の根回しにも貢献します。明治新政府では足柄県参事、熊谷県権令(ごんれい)から県令を経て、明治9(1876)年に初代群馬県令に就任。高崎から前橋へ県庁を移す際に師範学校や医学校を開設、鉄道の敷設、治水、土木など広くインフラ整備を通じて県の近代化に尽力した人です。 もともと群馬は養蚕・製糸業が盛んな土地。明治3(1870)年には旧前橋藩が日本初の洋式製糸場を開設しています。その2年後に富岡製糸場が操業を開始。製糸業の振興も県令に託された大仕事だけに、楫取は着任早々、アメリカへの生糸輸出を図る製糸業者に渡米資金を出資しています。 このときアメリカに渡ったのは弱冠20歳の新井領一郎。渡米前、楫取家を訪れた新井に、妻の寿が松陰形見の短刀を手渡したエピソードが、新井の孫娘ハル(後のライシャワー駐日大使夫人)の著書『絹と武士』に収められています。曰く「この短刀には兄の魂が込められています。その魂は、兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができます」 さらに、西南戦争後の財政難から民間払い下げが検討されたものの買い手がつかず、閉鎖の危機に直面した富岡製糸場を救ったのが楫取。政府が全国官営工場の払い下げ案を示した1年後の明治14(1881)年11月、「これを廃滅すれば(略)各国に対してすこぶる恥」と記した意見書を提出、西郷従道農商務卿がこれを認め、製糸場の存続が決まりました。2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場と、2015年大河ドラマ登場人物との意外な接点です。