【卓球】及川瑞基「『本物ではない及川』が卓球しているような感覚。もうひとりの自分が『それ違うよ』と言っている」
順境の中でもがき苦しむのではなく 逆境の中であえて挑み、自分探しをする及川
トップ選手が環境を変える、用具メーカーを変えるというのは大きな決断が伴うものだ。2021年の全日本チャンピオン、及川瑞基が4シーズン、プレーした木下マイスター東京を退団し、用具メーカーもタマス(バタフライ)からスティガ(本社スウェーデン)に変更した。Tリーグでプレーするので、新チームは近く発表されるだろう。 卓球王国最新号(22日発売)では彼のインタビューを掲載している。 宮城県出身の及川。名門青森山田学園で腕を磨き、ドイツリーグで7シーズンプレーした実力者。日本に戻り、2021年1月の全日本選手権で見事優勝。前陣での速いラリーの中で、速攻で決めるというよりも相手が嫌になるほどのラリーでのしつこさで点を拾いにいく卓球が印象的だった。派手さはないが職人的な卓球、それが及川瑞基の卓球ではなかったのか。 2020年からTリーグに参戦した及川。2021~22年のTリーグでは19勝5敗でMVPに輝いている。その及川の歯車はいつから狂ってしまったのだろうか。「『本物ではない及川』が卓球しているような感覚です。もうひとりの自分が『それ違うよ』と言っているような気がします」(及川)。 私見だが、2022年の世界選手権成都大会で思うように海外の選手に勝てない及川がいた。ひょっとしたら本人も周りも「世界の壁を破るためにはパワーが必要。長いラリー戦だけでは勝てない。両ハンドのパワーが必要だ」と。それはまるで長距離ランナーに100mに転向することを求める行為ではなかったのか。 「プレースタイルの問題はなかったですか? ラリーの中でしつこく戦っていくのが及川スタイル、いくら上を目指すと言っても一発で仕留めるタイプではないですね」とインタビューで彼に聞くと、こう答えた。「まさにそうです。自分でもわかっています。及川=ラリーです。相手が嫌になるくらい返していくラリータイプ。それが自分の強みでした。その土台がなくなっていて、幹がなくて葉っぱだけをつけようとしていました。『両ハンドのパワーでいけ』と言われてもそれは無理です。ぼく自身、完全に自分を見失っていました」 次第に及川は勝てなくなっていく。26歳、体が衰えていく年齢ではないから、余計に本人も焦ったのだろう。 インタビューの最中で、彼が苦笑いをしながらこう言った。「ぼくは自分で言うのもなんですけど、人がいいんですよ」と。周りから影響を受けやすいこと、他人の助言に耳を傾けやすいことを本人も自覚していた。もちろん周りの人は及川に良かれと思い助言を与えるが、それはすべて正しいとは限らない。 その対極にいたのが水谷隼(五輪金メダリスト)だ。周りから、もしくはコーチ陣から「練習をしない、サボっている」と思われようが自分のペースを決して崩さない。それは彼自身が、プロ選手として結局最後に頼れるのは自分だけなのだ、コートに立ったら誰も助けてくれないことを知っていたからだ。及川はそれをもっと知るべきだ。 プロ選手として生きていくためにはもっと自分のスタイルを強烈に主張し、自分の考えで、自分のペースで生きていくべきだ。コートに立った彼の苦悩も彼の孤独を誰も助けることはできないのだ。 さらに木下マイスター、バタフライという絶対的なリーディングチーム、メーカーから離れる決断は、彼の挑戦だろう。日本の卓球界でこれほど安心できる環境の整ったチームもメーカーもない。しかし、環境が恵まれているからこそ、ないものがある。それは「ハングリーさ」だ。 選手というのは、時に何か欠乏している環境にいるほうが自ら工夫し、前に突き進むものだ。かつてプロ選手の先駆者となった松下浩二も日本で契約しているチームの年俸の半分以下になってもブンデスリーガに挑み、その後の飛躍に繋げた。 「及川はお金のためにメーカーを変えた」と言う人もいるが果たしてそうだろうか。トップ選手にとってお金だけで、メーカーは変えられない。それは成績に直結するからだ。 かつて丹羽孝希は同じようにバタフライからVICTASに移った。バタフライという絶対的なメーカーのセカンドラインではなく、VICTASというメーカーのフロントラインとして扱われることを選び、その後、同ブランドのアイコンになった。これはプロ選手としては当然の行為とも言える。 及川はラケットも『サイバーシェイプ カーボン』に変え、心機一転、スティガのフロントランナーとして走ることを選んだ。 過去の栄光の貯金で飯が食えるほど、プロの世界は甘くはない。2024年、及川瑞基はすべてをかなぐり捨て、ハングリーなプロフェッショナルとして、安住の地を飛び出した。(今野)