沖縄戦の元少年ゲリラ兵「忘れたら、あの地獄がまた来るよ」…爆薬背負って敵の戦車に突入命令も
日本軍の組織的戦闘が終結して約3週間が過ぎた7月16日、上官から解散を告げられた。親類や同郷の隊員と村へ戻る途中、弱った瑞慶山さんを足手まといと感じたのか、仲間は「付いてきたら海に溺れさせる」と見放した。戦争はこんなことをさせてしまうのか――。声を上げて泣いた。
どうにか帰郷し、変わり果てた息子を母は抱きしめてくれた。体は回復したが、戦争は心もむしばんでいた。記憶が突然よみがえって人を追いかけたり、奇声をあげたりし、病院に一時入院した。それでも立ち直り、建設会社などに勤めて懸命に戦後を生きた。子や孫にも恵まれた。
自宅の敷地や裏山に桜を植え始めたのは約30年前。夢に出てきた妹が「お母さんが植えなさいと言っている」と告げたからだ。隊では160人ほどの若者が命を落とした。埋葬した人たちの遺骨も拾いたいが、現在は米軍基地になっていて入れない。「彼らが生きた証しに桜を残そう」と続け、約70本に達した。裏山には今も遺族らが訪れる。
戦争の愚かさを伝えるため、苦渋に満ちた自身の体験を学校などで語ってきた瑞慶山さん。「この桜で沖縄戦を伝えていきたい。沖縄戦を忘れてはいけない。忘れたら、あの地獄がまた来るよ」(饒波あゆみ)