人間魚雷「回天」搭乗の先輩…平和願い語り継ぐ 済々黌OBら遺文集刊行【くまもと戦後79年】
済々黌高(熊本市中央区)出身の戦死者を顕彰している同窓生有志の会が、人間魚雷「回天」の搭乗員として太平洋戦争で戦死したとされる豊住和壽さん(享年21)が残した手紙や日記をまとめた遺文集を刊行した。同会は「豊住さんの生き方から、後輩たちに平和の尊さを感じ取ってほしい」としている。 豊住さんは1941(昭和16)年、旧制中学済々黌を卒業。京都府舞鶴市の海軍機関学校などで学んだ。南洋に向かう途中の45年1月、回天を搭載した潜水艦ごと行方不明となって戦死したとされる。当時、海軍中尉で、没後に少佐に昇進した。 遺文集は元々、日本学協会(東京)の古村博文さん(74)=愛知県一宮市=と回天研究家の久保慶子さん(37)=広島県呉市=が、豊住さんの弟、和史さん(81)=熊本市中央区=宅に保管していた資料などを基に2022年、私家版としてまとめた。そのことを知った有志の会が、戦禍に散った先輩を語り継ごうと、資料を加えるなどして製本した。
遺文集には、豊住さんが家族などに宛てた手紙や、厳しくも誇りを持って励んだ訓練の様子を記した日記、出撃前の写真などを収めている。海軍機関学校に進んだ40年12月から出撃直前の45年1月3日までを日付順に紹介。和壽さんの出撃前の帰省の際に、顔を合わせた母親シズさんの思いなども記されている。 5月25日、有志の会が済々黌高近くの多士会館で開いた追悼式で、遺文集の刊行を報告。講演した久保さんは「年の離れた弟(和史さん)が生まれたうれしさをつづる家族へ宛てた手紙からは、弟への大きな期待と喜びが伝わる」「出征前の帰省に触れた日記からは、国のために戦う決意がうかがえる」などと話した。 和史さんは「兄は国のために懸命だったと思う。そのことを多くの人に知ってもらえれば、ありがたい」。有志の会の多久善郎事務局長(70)は「戦争で亡くなったという事実だけではなく、国を思い、家族や友人を愛した先輩の人生を、現代の生徒たちも知ってほしい」と話した。
遺文集はA4判、254ページ。250部印刷し、2千円で販売する。多士会館☎096(345)3002。(石井颯悟)