「アイドルは想像以上に厳しい世界でした...」最強グラビアクイーン田中美久が明かす「HKT48卒業」を決めた、指原莉乃の「ある一言」
昨年12月29日に、10年間在籍したHKT48を卒業。今年から活動拠点を福岡から東京に移し、新たなスタートを切った田中美久(22)。 【写真】最強グラビアクイーン・田中美久の美しすぎる秘蔵ショット...!! 卒業から5ヵ月――。5月22日に刊行された週刊現代グラビア別冊『WGPlus Vol.4』の表紙&巻頭グラビアを飾った彼女に、アイドル時代の苦労や挫折、そして学んだことや得たものを聞いた。
人として成長できた場所
──あらためてHKT48での10年間を振り返ると、いかがですか? 小学6年生、11歳のときに加入して、先輩メンバーの方々やスタッフさんと接する中で礼儀を学び、人として成長できた場所がHKT48です。今、こうして順調に充実した芸能活動を続けられているのも、アイドル時代からファンのみなさんがたくさん応援してくださったおかげだと思っています。
想像していた以上に厳しかったアイドルの世界
──成長した部分を、もう少し具体的に話してもらえますか? まず、想像していた以上にアイドルの世界は厳しかったです。スタッフさんから「芸能界に年齢は関係ないから」と言われて育てられ、最初から甘えはまったく通じませんでした。そんな厳しさの中で過ごしてきましたが、いい先輩方がたくさんいて、かわいがっていただきながら成長できたという感じです。 今、1人で活動していて不安も大きいんですが、HKT48時代の「厳しさや甘えは通じない」という教えが糧になって、不安があっても頑張れていると思います。 ──11歳から徹底してプロ意識を植え付けられたというか。 「総選挙」で自分の得票数が全国放送されたり、常にプレッシャーとも戦っていたと思います。メンタル的にきつい部分もあったんですが、そのぶん心が鍛えられる場所でもありました。 熊本出身には負けず嫌いが多いってよく言われるんですが、私はその中でも特に負けず嫌いだと思うので、それも良かったんだと思います。
思わずスタッフに打ち明けた思い
──負けず嫌いということは、例えば「総選挙」だと「このメンバーには負けたくない!」とか? 誰かに負けたくないというよりも、得票数を知って心が折れちゃったりする自分に負けたくない気持ちが強かったですね。もちろん、誰かと比べて感じる悔しさもあるんですけど。 ──アイドル人生の途中で、もうやめたいと思うこともありましたか? やっぱり、何回かはありました。私は3期生なんですが、同期の中で一番最初に『やめたいです』って言ったらしいです(笑)。入って半年も経たないうちのことでした。 ──そのときは、どうしてやめたいと思ったんですか? 幼かった上に何もわからずに入ったので、こんなにも周りと比べられるんだとか、そこでこんなにヘコむ自分がいるんだって気づいて、なんかもう楽しくないなって。アイドルはキラキラしていて、ファンの方もたくさんいて、自分もそうなりたいと憧れていましたが、いざ入ったら全然キラキラできないし、自分にアイドルは向いてないなって思ってしまったんです それで、スタッフさんにやめたいと伝えたんです。そうしたら『まだ早い! 』って言われて、その時は思い直しました。そのあと、中学生のときも高校生のときも、卒業を考えたことはありましたね。