手越祐也、音楽活動に手応え「右肩上がり」「2024年は満開に」 挑戦続けた2023年や東京ドームへの思いも語る
シンフォニックコンサートで得た自信
2023年はどんな年になったか尋ねると、「1つでも多く新しいことにチャレンジして、走り抜いた一年になりました」と振り返る。 「きっと自分の活動に関して満開になるのは2024年だと、2022年の段階からそう思っていて、どういう活動をしたら2024年に満開になるのかなという思いで2023年は走り切りました。1つでも多くの活動をして、いろんな刺激を求めて、人間としてもアーティストとしてもパワーアップできたら、2024年により大きく跳ね上がれると思ったので」 さまざまな挑戦をした中で、特にシンフォニックコンサートが自身にとって大きな経験になったという。 「日本でシンフォニックライブができるアーティストって一握りしかいないと思います。そのぐらいシンフォニックライブは難しくて、絶対音感、相対音感が必要だし、リズム感が本当によくないとできない。生身の人間が演奏していてテンポも若干変わるので、それに順応できる柔軟性も必要だし、ボーカル力もかなりのものが備わってないとできないんだなと感じました」 シンフォニックコンサートを1日2公演行う日もあったが、そのタフさに指揮者たちが驚いていたという。 「指揮者の方にもオーケストラを仕切っている方にも、『ここまでタフで柔軟性のあるアーティストはそんなに見たことがないです』とお褒めの言葉をいただいて、超プロフェッショナルな人たちからそんな言葉をいただけたことはすごく自信になりました」 また、2023年は日本の芸能界や音楽シーンにとって大きな変化があった年だと捉えている。 「2023年はいろいろありましたが、現状維持を続けて挑戦しなかったら、それはもう退化だと思います。これからは本当に実力がないと生き残れない」と気を引き締め、アーティストとしてさらなるスキルアップを目指していくという。 「海外のアーティストなど、本物のパフォーマンスがネットですぐ見られる今、これからは本物しか生き残れない。一生懸命、本気で戦っている人にとっては追い風なんです。2024年は、努力を惜しまずに実力を磨き続け、より一層気を引き締めて自分のスキルアップをしないといけないと思っています」 ■東京ドームに再び立ち「後輩たちに夢を与えたい」 いずれ東京ドームでライブを開催することも目標に掲げているという手越だが、「僕自身がドームに立ちたいというわけではない」と話す。 「もう立ったこともあるし、今僕がやっている音楽の繊細さは、ドームだと伝わらないので。Zeppやビルボードは音がよくて、表現したい呼吸とか細かいところまで伝わるけれど、ドームだとそういうのが伝わらないんです」 それでも、事務所から独立しソロになった手越が再び東京ドームに立つことに意味があるのだという。 「これから芸能界に入ってくる子や今芸能界で頑張っている子たちに夢を与えたいし、後輩を育成したいという思いがあるので。事務所から出て、いろんな挫折を味わった人でも、毎日楽しそうに仕事をしていて、しかももう1回ソロでドームに戻ったら超かっこいいじゃないですか! そうしたら、後輩たちに『僕も頑張ろう』と夢を与えられると思うし、日本の芸能界に夢を見させられると思っています」 そして、それがファンへの恩返しにもなると考えている。 「ソロになってからも君たちが支え続けてくれたからここに戻ってこられたんだよと、再びドームに立つことでファンへの感謝も伝えられると思うので、僕が立つことに意味があると思っています」 ■独立から3年半「僕の中では右肩上がりで来ている」 2月にはアルバムを引っ提げ、全国ツアーを開催する。 「全国5カ所でそれぞれ2公演開催しますが、1日目と2日目のセットリストを変えているので、2回来た方も楽しめるライブになっています。負担がすごくなるのでこんなことをやるアーティストはいないと思いますが、ハードルが高ければ高いほどやりがいを感じる性格なので。僕にとっても見に来てくださる方にとっても刺激だらけのツアーになると思います」 そして、「間違いなく独立した2020年より21年、21年より22年、22年より23年と、僕の中では右肩上がりで来ていて、2024年はその傾きがさらに上がっていくという自信と直感があります。僕、直感は外さないので(笑)」とさらなる飛躍に自信をのぞかせる手越。 「そうなると僕も、僕のファンも、僕についてきてくれたスタッフも、全ての人が幸せになると思うので、2024年を走り切った時に『最高の一年だったね』と言いながら12月31日においしいワインをみんなで飲みたい。そんな1年にしたいです!」と笑顔で締めくくった。 ■手越祐也 1987年11月11日生まれ、神奈川県横浜市出身。15歳から芸能活動開始。2003年9月のデビューから2020年6月独立までの約17年間男性アイドルグループのメンバーとして活動。在籍期間中、歌手活動だけでなく、「FIFA クラブワールドカップ」「FIFA ワールドカップ」でメインキャスターを務め、人気バラエティー番組へのレギュラー出演、俳優など幅広く活動。フリー転身後、2021年7月にデジタルシングル「シナモン」でソロデビュー。精力的にシングルやアルバムをリリースし、ライブやツアーも多数開催している。
酒井青子