<高校ラグビー>139-0の大差試合が投げかけた問題点とは?
昨秋、ワールドカップイングランド大会で日本代表が大躍進。過去優勝2回の南アフリカ代表を制するなど、歴史的な3勝を挙げた。一大ブームを巻き起こしたうえ、2019年にはそのワールドカップを日本で迎える。競技人口爆発に火をつけるチャンスが、いままさに到来しているのだ。裏を返せば、今度のようなチャンスはいましかないのかもしれない。 64年ぶりに出場した山口県の山口高の主将で医者志望の藤井陽輝は、自軍の魅力について「誰1人、同じプレーをする選手がいません」と明かした。過去優勝5回の大阪・常翔学園高(旧大工大高)でラグビーを始めたというファイアラガ聖サムエルは、「わからないことだらけだったんですが、仲間がサポートしてくれました。『(練習の段取りがわからず立ちすくんで時などに)一緒に来い!』といってくれたり」と充実した日々を振り返っていた。いずれの言葉も、ポジションごとの役割が多彩で相互理解を重んじるこの競技を見事に言い表している。 大人たちが「スポーツの教育的価値」を訴えるまでもなく、すでに教育的価値を帯びているのがラグビーなのだ。国内でラグビーのプレゼンスを高めること自体は、そう難しくはなさそうなものだ。日本ラグビー協会はタグラグビー(タックルの代わりに腰につけた「タグ」を取り合うゲーム)を広めるなど、何の努力もしていないわけではない。 しかし、有名選手に近しい人物は、日本代表クラスの選手がおこなう普及活動についてこう話している。 「本来、ワールドカップに出た有名選手は普通の小学校などに行かせていろんな話をさせた方がいい。ラグビースクールなどに向けた技術指導は、それ以外の選手でもできる。ただ、それぞれのスクールや地方協会の方の思惑からそうはならないことがある」 そう。花園の存在価値よりも問われるべきことは、他にある。 認知度向上、他競技からの転向者への訴求、各年代毎のモチベーションを保つ施策づくり…。それぞれのパートで、強力な舵取り役の出現が待たれる。 (文責・向風見也/ラグビーライター)