「今日着る服がわからない……」そんな時こそJAXURYな視点を
聖徳太子が使った“わ”は、実は……
「聖徳太子が使った“わ”は、龢という漢字でした。 さまざまな音程を持つ笛を一緒に吹いて、そこに調和を見出すことを意味しています。 理想的な和の理論とは、“三人寄れば文珠の知恵”、一人では出ない知恵が三人だと出るというアレです。 みんなで同じ音を出す必要はなくて、違う音を出す中で、意見の調和を生み出していく。 それは確かに日本ならではの概念かもしれません」 それぞれの違いが生み出す調和が、かけがえのないものを生んでいく。それは、音楽も、装いも同じかもしれない。極上のホテルで、カジュアルなレストランで、旅先で…。その場所で自分と共にいる人々のことを思い、装うことから、調和が生まれ、豊かな時間が紡がれていく。その場に調和する装いを心がけたい所以である。
おしゃれの主役は自分である
そしてなにより大切なのが、「おしゃれの主役は自分」ということ。中村さんいわく、「主役はいつも、服を着る方。ひとりひとりが本来もつ個性を生かして、その美しさを引き立たせたい」。 ちなみに主役は人、というのは、おしゃれだけではない。 中村さんも敬愛する昭和を代表する建築家のひとり、吉村順三は、主役はあくまで住み手と考えた。その言葉をまとめた本『建築は詩』にも、「家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活がいとなまれるということ(中略)そういったものを、建築の上に芸術的に反映させるのが、私は設計の仕事だと思う」と、記されている。 どんなに素晴らしい服も住まいもサポート役で、主役は自分。服も住まいも、自分らしく輝けるもの、そしてそれと共にどんな自分になっていけるのか…と、思いをふくらませられるものがいい。 「JAXURY」な視点とは、贅沢な服を着る、ということではない。心と体で感じられる「心地よさ」(Luxury)があること、共に過ごす人と調和を楽しみ、自分本来の姿で、自身が「輝き」(Luxury)を放てること。時には、こんなふたつのラグジュアリーの視点を取り入れて考えてみると、混沌としたおしゃれの悩みに新たな展開が開けてくるかもしれない。 取材・文・撮影/川村有布子
川村有布子