『虎に翼』はなぜ“今”を写し取るドラマに? 100年前から続く物語を100年先につなげる意義
100年前から今に続く物語、そして100年先へ
第4週まではそれぞれの家庭内や学内でのことにおもにフォーカスがあてられてきた『虎に翼』だが、第5週「朝雨は女の腕まくり?」で寅子たちを取り巻く世界が一気に広がる。銀行員である父・直言(岡部たかし)の逮捕と裁判だ。 作中で描かれた「共亜事件」はおそらく(というか、ほぼ確定的に)戦前最大の疑獄事件「帝人事件」をモチーフにしているのだろうが、フィクサーのような老人が暗躍し、政治と司法それぞれの独立性が担保されていない状況は100年前のことと笑えない。そして、劇中でこの裁判がおこなわれた1935年から1936年頃といえば、二・二六事件をはじめ、日本が戦争に突き進もうとしている時代である。 第5週の最終話、父をはじめ事件の被告16人全員に無罪判決が出たことを受け、寅子は「あたかも水中に月影を掬いあげようとするかのごとし……」との名判決文を書いた裁判官・桂場等一郎(松山ケンイチ)を甘味店で待ち、彼に礼を伝えて、法律に対する自らの捉え方が変わったと話す。それまで法律は誰かを守る盾や傘、毛布のようなものだと考えていたが、父の裁判を経た今、法律とはその存在こそを守らねばならない綺麗な水源のようなものであると。 この第5週の最終話が改憲も議論される昨今の憲法記念日、5月3日に放送されたのは『虎に翼』が“持っている”ということだろうか、それとも脚本の吉田氏は最初からそこに狙いを定めていたのか。 ここであらためて第1話を見返し、物語の初めに登場したあの笹の小舟は女性の社会進出のメタファーなのだと再確認した。やっと川には浮かんだものの、途中の小石に引っ掛かり小舟は前に進むことができない。強い風が来たら吹き飛んでしまうかもしれないし、雨が降れば壊れる可能性だってある。でも、そこで止まるわけにはいかないのだ。小舟が進む先には大きな海があるのだから。 さて、時代はいよいよ戦争である。寅子とともに学んできた明律大学の女子学生や男子学生たちはどうなってしまうのか。どの登場人物も完ぺきではないがとても愛おしい。できれば全員で夢を叶えてほしいと願う。きっとそれは難しいことなのだろうが。 この作品は、今を生きる私たちに、その一瞬一瞬が100年前からの地続きであり、2024年の今、私たちがどんな選択をするかで100年先の人々の生活が決まると教えてくれる。『虎に翼』は100年前の物語であると同時に、確実に“今”を写し取るドラマなのだ。
上村由紀子