武田鉄矢、映画監督務め学んだこと 「売れている俳優のことが嫌いになっていく」理由とは
原作・脚本・監督・主演を務めた『プロゴルファー織部金次郎』シリーズ
歌手、俳優、作家と幅広く活躍する武田鉄矢(75)は映画監督にも挑戦している。その代表作が、原作・脚本・監督・主演を務めた『プロゴルファー織部金次郎』シリーズだ。本作と『海援隊50周年コンサート ~故郷 離れて50年~』が6月にBS松竹東急で無料放送されるのを機に、今だから話せる舞台ウラを明かした。(取材・文=平辻哲也) 【写真】イベントに登壇した茶髪姿の武田鉄矢 1993~98年まで全5作が作られた『プロゴルファー織部金次郎』はデビュー以来17年間、優勝がなく、下町のレッスンプロとして生計を立てるプロゴルファー織部金次郎、通称・オリキンが主人公。妻には離婚され、子どもも寄り付かない彼が下町の人情に支えられながら、再起にかける物語。武田にとっては映画『刑事物語』(82~87年)に続く人気シリーズとなる。 「なぜ自分から遠かったゴルフを取り上げようと思ったのか、いまだに分かりません。第1作は監督がいたのですが、自分でやらないと、収まらなかったんでしょう。監督としては下手でした」と振り返る。 原型になったのは、ケビン・コスナー主演の『フィールド・オブ・ドリームス』(89年)。アイオワ州の片田舎で農場を営む主人公がナゾの啓示を受け、トウモロコシ畑に野球場を作ると、失意のうちに球界を去っていったかつての選手たちが野球場にやってくる……。 「ゴルファーの中嶋常幸さんに、気分が高揚すると、霊のようなものが取り憑いて、ゾーンに入る瞬間があるといった生々しい話をいくつも聞かせてもらったんです。詳しい状況は忘れてしまったのですが、北海道のトーナメントを戦った時の話です。お母様が危篤か亡くなった直後で、集中力がなかったそうです。でも、そんな時に限って調子がいい。勝負の17番ホールのグリーンで、お母様の幻影を見て、『頼むから消えてくれ』と願い、幻影に背を向けて、パットを入れたそうです」 第1作にはオリキンが世話になったヤクザの親分が亡くなり、その幻影が試合会場に現れる場面が出てくる。 “オリキン”は「負ける」をテーマにした物語だ。 「世間はバブルが弾けた後でした。負けの意味を人生の中からつかみ出すことで、自分のエネルギーにしていく。そんなことを描きたかった。映画って、自分の人生がどこかで写ってしまうものなんです。昭和の時代、歌の戦いの中で負け続けた私にしかできない物語だと思っています。『思えば遠くへ来たもんだ』も、谷村新司の『いい日旅立ち』と競い合って、負けて、彼の歌はJR(当時・国鉄)のコマーシャルソングになった。いまだに新幹線では流れていますよね。時々、勝ったものもありますけど、大半が昭和歌謡の天才たちに蹴っ飛ばされていきましたから」 監督を務めたことで学んだことも多かった。 「徹底して学んだのはカメラの横から俳優さんの芝居を見たこと。監督と俳優は違う世界です。いいセリフを思いついたら、自分で言わないで、周りの人に配っていました。監督になると、俺はあの人を上手に使ったことが喜びになっていく。それから、売れている俳優のことが嫌いになっていきます。こっちは天気のことで悩んでいるのに、売れている俳優は『何時までにあげてくれないと、困る』とか言いますから」と笑う。 ゴルフは運が混じり込んでいるスポーツで、そこには人生にも通じるものがある。 「選手はそんなことを言い訳にはしませんけどね。運に身をまかせるというのは、人生の中で、実は一番大事な人生に対する態度ではないかと思っていますね。芸能人も、技術があっても、きっかけがないと、その才能を発揮する場所も得られないじゃないですか。セリフにもしましたけど、人生は8勝7敗でいい。1つだけ勝ち越しておけば、いいんです。この映画では僕以外はよかったんじゃないかな。(共演の)阿部寛も財前直見もちゃんと活躍していますよね」