輪島を離れた家族…残った家族 それぞれの選択…それぞれの春
テレビ金沢NEWS
能登半島地震は、多くの人々の生活を一変させました。 地元を離れる人。残る人。 多感な時期にある子どもたちもそれぞれの家族の選択により、大きな環境の変化の波に直面しています。 こちらの2枚の卒業証書。
この春、小学校を卒業した刀祢利喜人さんの卒業証書です。 1枚は、野々市市にある小学校のもの。 元日の地震の後、元々住んでいた輪島市の町野地区からの避難に伴って転校し、1か月ほど在籍しました。 刀祢利喜人さん: 「(野々市は)1クラスが40人くらいで、(輪島の)町野は全校で40人くらいだからちょっとびっくりしました」
そして… 通い慣れた輪島市の町野小学校。 この時すでに転校していたため正式なものではありませんが、特別に卒業証書が用意されました。 家族と暮らしていた輪島市は地震で甚大な被害が出ました。 特にこの町野地区は住宅の被害が目立ちます。 父・正浩さん: 「この基礎の下にいないとダメなクイがもう抜けてしまってるんだから、もう全体的に海側に傾いてます」 新築の自宅は去年12月に完成したばかり。
でも、普通に住み続けることはできなくなりました。 刀祢利喜人さん: 「たった1週間しか住んでないのに、なんかやっぱりもったいないなと悲しいのと悔しいことがある」 「もっともっと住みたかった」
母・真理子さん: 「でも新しい家のおかげで、思い出も探せたし、怪我もせんかったんで、なんか複雑ですね。ショックやけど怪我せんかった」 新たな家を建てる前まで暮らしていた家も被害を受けました。 こちらの1階部分は母 真理子さんが店長を務める飲食店でしたが、営業できない状態に。
一家は両親と子ども3人の5人家族。 真理子さんは断水が続き、学校の再開も見通せないことから子どもたちと輪島を離れることを決めました。 母・真理子さん: 「本当に逃げるじゃないですけど、行って子供が楽しい、いけそうってなったから、じゃあそうしようって。もうそれ次第で全部動く感じで」 しかし、地元の建設会社で働く父 正浩さんは、家族を支えるため、1人で輪島に残りました。