避難所を離れ、仮設住宅で新生活…「まちの再生のために目の前の人たちを支えたい」
多い日は3、4軒回ったろうか。配管の被害はひどく、「復旧が遅れると古里を離れる人もいる」と不安が募る。顔に出ていたのかもしれない。3月、東日本大震災を知る宮城県石巻市の応援のベテラン職員が「長い目で見て。根詰めると持たんよ」と助言してくれた。
その言葉に、少しだけ気が楽になった。時折思い出しては深呼吸し、「焦ったらだめ」と自分に言い聞かせる。「できることはささやかだけど、まちの再生のために目の前の人たちを支えたい」。思いを強くする。
仮設住宅ではトイレも風呂も自由に使える。間取りは3LDKで両親、祖母、自分それぞれの部屋がある。
春子さんは、別棟の仮設住宅に入った友人とおしゃべりに興じている。久美さんは「これからは自分の部屋でのんびりしてほしい」と、避難生活と仕事を両立させてきた娘を思いやる。
松男さんは「地震の日以来の大きな一歩や」と言う。4人が政則さんのことを口にする機会は少ないが、「落ち着いたら、きちんと弔ってあげたい」との思いは一致している。初盆前には葬儀と納骨を済ませるつもりだ。
あの日から止まっていた一家の時計の針が、ようやく新たな時を刻みだした。
(中川慎之介)
能登半島地震から半年。発生3か月に続き、被災地に生きる家族の姿を追う。
これまでの経緯
「明日香は宝や」が口癖だった政則さんは、家族全員がいた自宅で一人だけ命を落とした。明日香さんは「じいちゃんが全部引き受けて、私たちを生かしてくれたんだ」と思う。トンネル掘削員として身を粉にして働く父の姿を見てきた松男さんは、これからは自分が家族の暮らしを支えなければと感じている。