監督指示を無視「投げているのは俺や」 甲子園Vへ“危険な賭け”…最悪の結末に謝罪
避けたかった準決勝での延長戦「自分の体力を知っていましたから」
選抜同様に、夏の甲子園でも勝ち上がるとともに、投じた球数も増えていき、またまた気力勝負になりかけていた。「ウチはクジ運が悪くて決勝まで6試合をやらなければいけない。箕島は2回戦からだったから5試合ですけどね」。たかが1試合の差ではない。コンディション面を考えれば準決勝の延長戦はどうしても避けたかった。「自分の体力を知っていましたからね」。ヘロヘロだった春を経験したからこそ、送りバント指令には従いたくなかったわけだ。 「ゲッツーは残念でした。あとで監督には謝りました」と牛島氏は話した上で、こう続けた。「まぁ、でも仕方ないですよねぇ……。個人的には優勝したいけど、延長戦に入ったら準決勝を勝っても決勝は無理だろうとの思いもありましたしね。ちょっと変な言い方になりますけど、僕は浪商に『3年後に強いチームにしてくれ』と言われて入った。結果、春準優勝、夏ベスト4で大阪も盛り上がったし、何か自分の役目は果たしたかな、みたいに思っていました」。 大会後、牛島氏は高校日本選抜チームに選出され、ハワイ遠征を経験した。上尾の仁村や大分商の岡崎郁内野手(元巨人)、この年、春夏連覇を成し遂げた箕島からは石井毅投手(元西武)、嶋田宗彦捕手(元阪神)、北野敏史内野手、上野山善久内野手がメンバー入り。大阪・伊丹空港から飛び立つ際は女性ファンが殺到したため「裏の通路を抜けて飛行機に乗った記憶がありますね。ワーワー言われてすごかったです」。 ハワイで牛島氏は3試合に登板。7回制の1戦目・ヒロ高校選抜戦に先発して3-0で完封勝利。同じく7回制の4戦目・オアフ島高校選抜戦には先発して0-1で敗れたものの、2安打1失点完投だった。5番手で1イニングを投げた6戦目・オアフ島高校選抜では「4三振をとりました。振り逃げがひとつあったのでね」。代表メンバーの面々とも親しくなったという。 「監督は箕島の尾藤(公)さん。怖いイメージがあったんですけど、箕島の選手たちが『監督は泳げないからプールに放り込んでくれ』みたいなことを言ってきたんですよ。自分たちではそんなことできないからでしょう。で、尾藤さんの手を引っ張って『監督、泳ぎましょう』ってやりましたよ。落とすことはできなかったし、アホとか言われて怒られましたけどね。まぁ、そういう思い出もありますね」 3年時は春も夏も甲子園に出場し、いずれも浪商・広瀬監督の指示に従わなかったシーンがポイントになるなど、いろいろあったが、最後はハワイで楽しく終わった。「いい経験をさせてもらいました。あのメンバーの半分くらいはプロに入ったんですよね」。次に待ち受けるのはプロの世界。牛島氏の野球人生はここからさらに花開いていく。
山口真司 / Shinji Yamaguchi