100年後の内山書店で「魯迅の足跡」を辿る
【CNS】中国の読者にとって、内山書店は重要な歴史文化の象徴だ。この場所が中国人に知られているのは、内山完造(Kanzo Uchiyama)と魯迅(Lu Xun)の友情によるところが大きい。 内山完造は日中友好の架け橋だった。彼は魯迅の親友で、魯迅の著作の代理で発行した他、危機の時においても何度も魯迅を守った。今日に至るまで、内山と魯迅の家族は交流を続けている。 当時の魯迅が内山書店を特別に好んだ理由は何なのか?100年後の内山書店にはどのような「魯迅の足跡」が残っているのか?東京の内山書店の4代目社長、内山深(Shin Uchiyama)さんが取材を受けた。 内山深さんによると、内山完造は1913年に上海市に来た後、最初は中国各地で目薬を販売していた。妻の美喜子は家で暇を持て余し、何もすることがなかったため、書店を開こうと思ったそうだ。 1927年、魯迅は初めて内山書店を訪れた。当時、中国では進歩的な書籍の入手は難しく、内山書店は日本から直接書籍を輸入し、販売していた。内山書店の販売方法は開架式で、読者は興味のある書籍を自由に選べた。これは当時としては珍しいことだった。 特筆すべきは、内山書店がつけでの販売を行っていたことだ。これは内山完造がキリスト教徒だったこと、そして彼が「本を愛する人に悪人はいない」という信念を持っていたことも関連している。これらの理由から、魯迅は内山書店に強い興味を抱いた。現在も、東京の内山書店は常連客へのつけでの販売を続けている。 1917年の創業から100年以上の歴史を持つ内山書店には、今も、「魯迅の足跡」が残されており、内山家と魯迅との深い友情を今に伝えている。 内山完造の弟で、内山深さんの祖父の内山嘉吉(Kakitsu Uchiyama)が上海で結婚式を挙げた際、魯迅は来賓として扇子に題辞を残した。現在、その扇子は内山書店のガラスケースで大切に保管されている。また、魯迅が内山嘉吉に贈った署名入りの書籍『北平箋譜』も内山書店に保管されている。 内山書店は日中民間交流の実践者となることを目指している。90年前、日本が中国に侵攻していた時期でも、内山完造は国と国との関係が悪くなっても、個人と個人との友情は保てると信じていた。そのため、内山書店は日中の文化人たちの交流の場として機能した。 今日の内山書店では、中国語学習の書籍を求める日本の読書家が、本を買いに来た中国の読書家と偶然出会うことがある。彼らは本の選び方や情報を教え合う。内山深さんは、「個人の感情は、国と国との関係の影響を受けることもあるが、より重要なのは、政治を超えた人びとの理解を深めることだ」と述べている。(c)CNS/JCM/AFPBB News ※この記事は、CNS(China News Service)のニュースをJCMが日本語訳したものです。CNSは1952年に設立された中華人民共和国の国営通信社です。