朝ドラ『ブギウギ』草彅剛が見せた音楽家としての矜持 スズ子は誰のために歌うのか?
11月30日放送の『ブギウギ』(NHK総合)第44話ではスズ子(趣里)の所属する梅丸楽劇団が最後の日を迎えた。 【写真】ついに菊地凛子の歌唱シーンが 第45話先行カット 梅吉(柳葉敏郎)と喧嘩してしまったスズ子は下宿内で別居状態になり、親子の間にぎくしゃくした空気が流れる。その頃、梅丸楽劇団は客足が遠のき、劇団のメンバーも櫛の歯が欠けるように一人また一人戦地へ招集されていった。戦時下の時勢に羽鳥(草彅剛)も困惑していた。「湖畔の宿」は歌詞の内容が軟弱すぎることを理由に宣伝を自粛。一方、羽鳥が作曲した「蘇州夜曲」は当局の検閲を免れて大ヒットしていた。 梅丸楽劇団に客を呼び戻したいスズ子は、羽鳥に「蘇州夜曲」を歌わせてほしいと頼み込む。返ってきたのは「ダメだね」という一言だった。「君は心から『蘇州夜曲』を歌いたいわけじゃないだろう。僕には、君が警察の指導を避けるためにあの曲を選んだように思えるんだが、違うかい?」と羽鳥は指摘した。 舞台では三尺四方の狭いスペースで歌わなければならず、持ち味の体全体を使った動作は制限される。客入りも減る一方だ。スズ子の申し出は難局を乗り切るための窮余の一策だったが、羽鳥にはそんなスズ子の心の動きが手に取るようにわかった。スズ子が「蘇州夜曲」をステージで歌ったとして、警察から目を付けられることはおそらくないだろう。人気のある曲だからお客さんも喜んでくれる。そうすれば、梅丸楽劇団もかつての勢いを取り戻せるはず。スズ子なりに真剣に考えた結果である。 しかし仮にそうなった場合、スズ子は誰のために歌うのだろう。そこに当局に対する忖度が混じっていないと言えるだろうか。保身と言ったら言いすぎだが、少なくとも心から「蘇州夜曲」を歌いたいと思ったわけではない。そんな中途半端な気持ちでは歌わせられないと、羽鳥は考えたのだろう。羽鳥は続けてこう言った。 「楽器が足りないなら他の音で補えばいい。何度でも何度でも僕は楽譜を書き直すよ。何があっても音を出し続けるのが楽団だからね」 音楽家として羽鳥が難しい状況に直面していることはたしかだ。出征した楽団員のパートに合わせて、アレンジを書き直すのは骨が折れる作業である。戦争遂行一色の空気に合わせて出せる曲も制限される。それでも羽鳥は屈しなかった。他の作家が軍歌を手がけたり、戦争協力を惜しまないなかで、あからさまに戦意高揚を意図する作風は避けた。「蘇州夜曲」はバラードであり、「湖畔の宿」のような「貧弱で女々しい」曲をあえて世に問う羽鳥には確固たる信念があった。羽鳥に作曲法を授けた師メッテルが国外退去となり、自身がこよなく愛するジャズが敵性音楽とされることへの反発もあっただろう。 軽快なスウィングを奏で、機嫌よく軽口を飛ばす羽鳥には音楽家としての矜持がある。同時に羽鳥はスズ子を唯一無二の歌い手であると考えてもいる。「楽器が足りないなら他の音で補えばいい」という言葉は、バンドサウンドはアレンジできるが、スズ子のような歌手は代わりが見つからないことを示唆していた。羽鳥のスズ子に対する要求レベルは高いが、それは期待の表れでもあり、低迷する梅丸楽劇団にとどまる理由の一つにスズ子の存在があったことは想像にかたくない。 どんな時でも「歌うんだよ」と語った羽鳥の願いもむなしく、梅丸楽劇団は終焉を迎えることになった。崩れそうな屋台骨を必死で支えてきた楽団員は互いを思いやる余裕もなくなっていた。スズ子にとっては歌う場所を失うことを意味する。梅吉を抱えて八方ふさがりのスズ子は活路を見出せるだろうか。
石河コウヘイ