新ピッカリ投法が炸裂!”サウスポー・佐野慈紀”誕生の裏にあった「感染症との激闘」と「夢」
ギックリ腰だと思っていた……
「ちょっと落ち着きたい。お茶だけ一杯、ください」 “初登板”を終え、神宮球場のダッグアウト付近に引き揚げてきた佐野慈紀氏(56)は報道陣を前にまずそう一言。関係者から飲み物をもらって一息つくと、「やっぱ、帽子は痒いな」と冗談を飛ばした。 【奇跡の瞬間!】サウスポーに生まれ変わった佐野慈紀投手に後光が差した瞬間 実は佐野氏はこの日、帽子を飛ばしてハゲ頭を見せる“ピッカリ投法”を久しぶりに披露していた。しかも、利き腕ではない左腕で――。 復活登板までの道のり、左腕で投げることになった経緯は、フライデーデジタルの記事「右腕を切断した元近鉄・佐野慈紀が語る 『12月にマウンドに立って、左腕でストライクを投げます!』」で既報の通りだ。 ただ、インタビュー当時は「スライダーを投げたろかな」と余裕を見せていたものの、予告していたストライクどころか、ボールはワンバウンドしてキャッチャーミットにおさまった。 佐野氏が「マイナス10点ですね」と自身の投球を振り返った所以である。 「しっかりトレーニングもしてたし、結構ステップもできるようになったし、マウンドから届くぐらいにはなってたんですよ。でも目標はストライクを投げることだったので、それを考えると、全然できてないなと……」 事実、11月14日には左でスピードボールを投げる動画をSNSにアップ。直後にフライデーデジタルが取材した際も、佐野氏はすこぶる上機嫌だった。 「新大阪―東京の移動の間で新幹線内のアルコールを飲み尽くして大騒ぎするから、近鉄ナインがグリーン車に乗ったのがわかったとたん、売り子がガックリしていた」 「キャンプ地に届いたビールやウイスキーなど差し入れの酒をチームが宿舎のホテルに買い取らせていた」 などのエピソードを披露するなど“絶口調”で自信が滲み出ていたのだが――実はそこから2週間もせず、佐野氏は大ピンチを迎えていた。 「くしゃみをした際、腰に激痛が走り、寝たきりになってしまったのです。透析のための通院もままならず、救急車を呼ぶことになりました。本人はギックリ腰だと思っていたのですが、腰に2ヵ所、細菌の感染による炎症が見つかりました。痛みは引かず、12月に入って手術に踏み切りました」(佐野氏の知人) 投げるどころか、寝たきりになっていたのである――。 ◆「今度はストライクを投げる!」 ただ、手術に踏み切ったことで痛みは軽減され、炎症も改善。登板のための「一日外出許可」が出たのは、登板のわずか10日前だった。 つい1ヵ月前まで電車で取材現場まで来ていた佐野氏が、この日は車椅子で球場入り。それでも、「12月21日、少年野球『くら寿司・トーナメント2024 18thポップアスリートカップ』の始球式のマウンドに立ち、左腕でストライクを投げる」という彼の強い想いが、復活登板を見事に成功させたのだった。 「気持ちよかったですよ。ずっと室内で練習してたんで、雰囲気も空気も違いますし。僕の本拠地は藤井寺球場でしたけど、神宮球場っていう素晴らしいところで投げられたのは嬉しかった。ここは自分の居場所だなって改めて思いました。 これは第一歩。 左で復活ってことです。今度はストライクを投げるように頑張ります」 登板後は再び病院に戻って、治療が始まる。抗生剤の投与で数値が改善しない場合は最悪、再び手術となるが、「こういうことは今後、何度もある。いちいち落ち込んではいられない」と佐野氏は前を向いた。その姿は、リリーフエースとして何度もピンチを切り抜けた現役時代を彷彿させた。 「糖尿病によって抵抗力とか免疫力とか落ちてしまってることで、いろんな弊害が出ています。今回の腰の件もね。僕の場合は腕をなくすまでになってしまったんですけど、なんていうか――いくらでも対処はできると思うんです。皆さん、自分の身体に寄り添って健康第一で過ごしてほしい。それで万一、病気になっても、落ち込むことなく対処してほしい。 僕はアホみたいに強がりなのですが、こうして投げられるようになった。もっとしっかり左で投げられるようになって、キャッチボールができるようになったら、野球教室をやりたい。それが今の目標です。そこに向けて頑張ろうと思ってます」 キャッチボールって、ボールを介しての会話じゃないですか。そこが野球の原点やと僕は思うんです――これこそ、佐野氏が取材の際に繰り返し強調していたことであり、モチベーションでもあるのだ。 「この大会に長く携わってるんですけど、全国からいろんなチームが出てきてくれる。ライフワークとして、もう少し動けるようになったら、何年もかけて全国をまわり、日本中の学童野球の子たちと接したいという大きな夢があります。 僕は大好きな野球を子供の頃からやって、どんどんチャレンジしたことでプロ野球選手になれた。で、プロ野球選手になってそこそこ頑張ることができたから、辞めた後もこうして野球に携わることができている。野球が嫌いになることなんて一切、なかったんですよね。 だからこそ、子供たちにも一生懸命、チャレンジしてほしいなと思います。野球って楽しいなって思ってくれるように。僕の姿がどうのこうのというより、いくつになってもチャレンジできるんだっていうことと、野球って楽しいものだってことを感じてくれれば。それにしても、ここまで野球が自分のライフワークになるとは思ってなかったですね。それで皆さんが笑顔になってくれるんだったら、僕としては本当に嬉しいです」 「次はかっこよく投げます」と言い残して、佐野氏は神宮球場を後にした。 今度こそ、参考にしているというメジャー屈指の左腕、クレイトン・カーショウ(36)ばりの二段モーション(⁉)でストライクを取ってくれることだろう。願わくば、得意のスライダーで。
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