<春はばたく>第93回センバツ注目校紹介/5 京都国際(京都) 個を高め「異色」躍進
0―34の船出から22年。「妙な縁」で相手校の選手から立場を変えた小牧憲継監督(37)のもと、春夏通じて初の甲子園切符をつかみ取った。 1947年に韓国系民族学校として創立。野球部は京都韓国学園時代の99年に創部し、硬式では外国人学校として初めて日本高校野球連盟に加盟した。同年夏の京都大会に部員12人で臨んだが、初戦で前年夏の甲子園準優勝の京都成章に34失点し、五回無得点コールド負け。当時、くしくも京都成章の1年生レギュラーだった小牧監督は「真正面の打球も捕れないから、野手の前に飛んだら全部ヒット」と苦笑交じりに振り返る。 大敗のスタートから徐々に力をつけていた2004年に転機が訪れた。京都府から認可を受けて学校教育法上の「各種学校」から「学校」になり、現校名に改称。門戸が広がって入学者が増えたことで、03年夏の京都大会で8強に進んだチームも成長のスピードを加速させることになる。 小牧監督は06年に関西大を卒業し、滋賀銀行に就職。京都国際の当時の監督と知り合いで、週末などに指導に関わるようになった。社会科の教員免許を持ち、将来は高校野球の指導者を志していたこともあり、退職して07年に同校教員に転身。コーチを1年務め、08年に監督に就いた。 京都には龍谷大平安など強豪がひしめき、「組織的な動きをする平安と同じことをしていては勝てない」と小牧監督。個の能力を高めることに力点を置いた指導で、夏の京都大会は18年4強、19年準優勝と甲子園に迫った。エース格の一人の左腕・森下瑠大(1年)が「育成方針がいいと思った」と言うように、有望な選手が集まる好循環が生まれている。 昨秋の近畿大会を2試合連続1点差で競り勝った粘りが身上。全校生徒130人あまりの異色の小規模校が、新たな歴史の扉を開く。【野村和史】=つづく