古代マヤの生贄のDNAを分析、定説覆す驚きの結果が明らかに、チチェンイツァの64体
「別の方法」で殺された?
バルケラ氏らの研究は、考古学者にさらなる疑問を投げかけた。1つは子どもたちの死因だ。すぐ近くにある水をたたえた陥没穴の「聖なるセノーテ」にも遺体が沈められているが、それらの遺骨と違い、この洞窟で見つかった骨には人為的な損傷の痕跡が見られなかったのだ。 「心臓を取り出したり、頭を切り落としたりといった方法に特徴的な損傷は見つからなかったので、子どもたちは別の方法で殺されたのかもしれません」とバルケラ氏は言う。 DNAをさらに分析すれば、同じ一族の複数の世代の子どもたちの骨があるかどうかも明らかになるだろう。バルケラ氏は、同じ一族の子どもたちが複数の世代にわたり生贄に捧げられていたのであれば、生贄になるという名誉(あるいは呪い)が特定の一族に受け継がれていた可能性があると言う。
免疫を獲得した証拠も
今回のDNA解析では、チチェンイツァ近郊に住んでいる現代マヤ人の血液サンプルも分析された。その結果、洞窟に埋葬された子どもたちと現在この地域に住んでいる人々との間に「遺伝的連続性」があることがわかった。 「これは、生贄にされた子どもが、マヤ帝国全体ではなく地元から集められたことを示しています」とバルケラ氏は言う。 研究者たちは、古代マヤ人と現代マヤ人のDNA配列には、免疫に関わる明らかな違いがあることも明らかにした。これは、マヤ先住民が、スペイン植民地時代に持ち込まれたサルモネラ感染症などに適応したことを示している。 メキシコ国立考古学歴史研究所の考古学者で、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)でもあるギレルモ・デ・アンダ氏は、今回の研究には参加していないが、何十年も前からチチェンイツァの生贄について研究し、聖なるセノーテにも何度も潜っている。 デ・アンダ氏は最近、チチェンイツァの遺跡の近くのジャングルに入り、1967年に生贄の子どもたちの遺骨が発見された洞窟を探したが、その数年後に建設され、すでに放棄されている滑走路に潰されてしまったようだという。「残っていてくれればと思ったのですが、永遠に失われてしまったようです」 デ・アンダ氏は、洞窟と聖なるセノーテの近さに注目している。なぜこれほど近くにある場所を両方とも生贄の埋葬に使ったのだろう? そして、洞窟に埋葬された方の遺骨に、死因が分かるような痕跡がないのはなぜなのだろう? これらの謎を解明するためには、さらなる調査が必要だ。 「チチェンイツァの遺骨のDNAが分析されたのは、おそらく今回が初めてです」とデ・アンダ氏は言う。「次は、聖なるセノーテの遺骨にこの新しい技術が用いられるのを楽しみにしています」
文=Tom Metcalfe/訳=三枝小夜子