実話をもとに13歳少女への性暴力描く台湾小説、著者が遺した「あなたは悪くない」という悲痛なメッセージ
──「実話をもとにした小説」と明記されていますが、著者の林奕含は、小説の主人公である房思琪=自分ではない、とも言っています。「実話」をどのように受け止めたらよいでしょうか。 泉 林奕含さんが亡くなる数日前のインタビュー動画がいくつか残っているのですが、再生回数が200万を超えているものもあります。台湾の版元などの協力を得て、白水社と私の方で日本語訳を付けたものをYouTubeで見ることができます。 林奕含のインタビュー動画(1~6) 本書に関してのインタビュー動画 それらのインタビューの中で著者は「房思琪は私ではありません」とはっきり述べています。この小説は、1人ではなく何人かの実体験をもとに描いていて、「この苦痛が真実であると知ってほしい」との思いから、実話であると明記した、と。ただ、著者自身も16歳の時に教師と交際していた事実が自殺後に明らかになっています。 いずれにしても実話をもとにした話とはいえ、独白ではなく、小説自体は極めて客観的に書かれています。被害者である房思琪の視点だけでなく、自己弁護と自己陶酔にまみれた加害者の国語教師、房思琪をうらやましく思ってしまう親友……と、視点が変わっていくことで、性暴力の複雑な構造や、卑劣な実態を浮かび上がらせています。
■ 自分を責める仕組み、加害者の巧妙さ、周囲の無関心……性被害を生む構造 ──〈性暴力被害で自分を責めてしまう仕組みを理解できる本〉と、解説の小川たまかさんが書かれています。〈どうしてわたしは嫌だと言えなかったの? 〉と自分を責め、加害者である先生を愛そうとせざるを得ない房思琪の心の動きがつづられていて、読むのがとてもつらいのですが、著者の覚悟と才能がほとばしり、読む手を止められません。 泉 房思琪は被害者なのに、自分のことを恥ずかしい存在だと思ってしまうんです。それから、この小説にも描かれていますし、残念ながら日本でも同様の状況が見られますが、被害を訴えて声を上げると二次加害というべき攻撃をする人が出てきて、被害者はそういった言動にも苦しめられます。 描写が克明なだけに読むのがつらいと感じる人もいらっしゃると思うので、そういう方には無理をしないでくださいと伝えたいです。著者もあとがきで、「すべての房思琪を消費することが怖い」「煽るようなことはしたくない」と吐露しています。ただ言えるのは、どこまで、どういう言葉を重ねたら伝わるかを考え抜いた上で書かれた小説だということです。 ──加害者の先生は虐待する対象を巧妙に選んでいます。13歳であること、美しいこと、それから自尊心が高いこと。この子だったら“口外”しないだろうと計算している。 泉 著者は加害男性のいやらしさ、ぞっとするような言動を冷静に描き切っています。文学者である「先生」は、レトリックで房思琪をだまし、自分自身をもだましていくんです。 ──房思琪は少しずつ心身を壊していきますが、その変化に周囲の大人がもう少し早く気づいていれば…と思いました。 泉 13歳が微妙な年齢だというのは、私にも娘がいるのでよく分かるんです。まだ子供だけど、親に言いたくないことが出てきたりして、急に大人っぽくなるんです。まして、房思琪のように文学を好む早熟した女の子だったら、親は全てを把握できないだろうな、と。 周囲の大人たちの無関心さも描かれます。高級マンションに暮らす住人たちは、マンションの中で世界が完結していて、外を見ようとしないんですね。だからこそ、内側にいる、教養も社会的立場もある大人が、そんなことをするなんて想像もできないし、考えたくもない。こうした犯罪が大人たちのすぐそばで起こり、見逃される背景が構造的に描かれています。