ビットコインの生みの親サトシ・ナカモト、亡くなった私の友人だったのか?
シリコンバレー時代
私がロサンゼルスに移り、インターネットサービスプロバイダーのネットゼロ(NetZero)で働くようになってから間もなく、レンはサンフランシスコに引っ越した。私は彼をノースアメリカン・ネットワークオペレーターグループ (NANOG) とインターネット・エンジニアリング・タスクフォース (IETF) のコミュニティの友人に紹介し、彼が自らの仲間を見つける道程で彼を私の仲間とつなげた。 その後、私たちは割と密接な関係を10 年ほど続けた。しばらく話をしていなかったのだが、その後、メールやテキストメッセージで「電話をする時間はありますか」と、何の脈絡もなく尋ねられた。電話では、彼が就職を検討していた際のキャリアアドバイスや、あまり興味のない仕事に留まるべきかどうかなど、簡単な質問もあった。彼の電話は大抵が短いものだったのだが、というのも彼は自分が考えていることや目に見えていることを、その分野で信頼できる誰かに確認してもらいたかったようだ。 もっと長い電話の時は、先生宅のソファでの会話に似ていた。私たちは、オープンでパーミッションレスなイノベーションの価値や、パーミッションレスに構築できるネットワークの重要性について何時間も話し合った。 私たちは、悪人が悪事を行えてしまうようにする代わりに、保守的で仕事の遅い機関による承認を待たずに善人が迅速に行動できるようになるメリットというトレードオフについて何時間も話し合った。 最終的に、私たちはネットワーク自体は完全にオープンであり、コントロールは他のレイヤー、可能な限りはテクノロジーで、あるいはどうしても必要な場合は法律で構築されるべきだと意見が一致した。 この原則はビットコインの核心であり、おそらく最も価値があり永続的な特徴である。
サトシの正体
レンはサトシではないという合理的な理由をあげる人は多いが、私の見解では、そのような人はレンがどのような人物だったかを知らない。こうした意見に対する私の回答は次のとおりだ。 その他の点としては、以下のようなものがあげられる。 誤解のないように言うと、レンと私はビットコインについて話したことはなく、彼がサトシだったとしたら、彼が私や友人たちとビットコインについて話したがらないのは容易に理解できる。結局のところ、彼がサトシだったかどうかはわからない。彼のスキルと人柄を考えれば、確かにそうだったかもしれないのだ。 いずれにせよ、レンは素晴らしい人物で、世界が彼に与えた扱いよりも、良い扱いを受けるに値した人物だった。彼の思い出は、私の心の中で輝いている。 最後に、本稿に目を通し、事実確認をしていただいた、レンの高校時代の親友の一人、カール・ジェイ・パルディーニ(Carl Jay Pardini)氏に感謝申し上げる。 |翻訳:T.Minamoto|編集:CoinDesk JAPAN編集部|画像:レン・サッサマン氏、2006年頃(Simon Law/Wikimedia Commons)|原文:My Friend, Satoshi?
CoinDesk Japan 編集部