『孤独のグルメ』は時代に求められた作品だった 一人飲みに通じる個食の愉しみ
井之頭五郎(松重豊)にとって白飯は酒?
ドラマの観点からは、それによってどんな効果がもたらされているかが大事だ。酒の肴でメシを食う。それだけでもちょっとしたぜいたくだが、ここでは白飯は酒の代替品である。なぜなら五郎は酒が飲めないからだ。そして『孤独のグルメ』の白飯あるいはバケットを酒に置き換えると、まるで最初からそうだったように、全てがあるべき場所に収まる。米、麦が原材料なので当然といえば当然だが。小皿料理を追加注文する五郎の仕草も、酒のアテと考えれば納得である。 このことから導かれる結論。『孤独のグルメ』とは、一人飲みの愉しみを個食に置き換えることで、酔いに通じる至福の時間を演出する試みである。漫画版の原作が最初に連載されたのは1994年から1996年。平成不況と失われた30年の初期にあたる。バブルが過去になり、アフター5の華やかな喧騒が遠ざかる時代に、仕事飲みの堅苦しさから解放された勤め人の潜在的な願望を、本作は個食/孤食によって代行した。 ドラマ版Season1の放送は2012年1月から3月。リーマンショックと東日本大震災を経て、経済再生と復興が課題だった時期に実現したドラマ化は、多くの人が個々の歩みからやり直さなければならなかった背景を考えると、偶然と思えない。 はたして『孤独のグルメ』が求められる現代は幸福なのだろうか? 一つ言えるのは、どんな時代でも、独りひそかに食を楽しむ営み自体は、決して失われないことである。願わくば、その一口が明日の笑顔につながってほしい。そんな祈りを込めて、定番の台詞で本稿を締めくくる。 「さて、明日は浅草だ。何を食おうか」
石河コウヘイ