「黒澤明の野郎、バズーカ砲で…」大物監督に激怒した「三船敏郎」 盟友・宝田明さんが明かした“世界的スターの孤独”
「バズーカ砲でぶっ殺してやる」
不仲の原因は、互いのプライドにあったようだ。 「結局は、お互いのいいところを取り合って、あの数々の傑作が誕生したわけですが、双方にすれば『俺のおかげで成功したんだ』『俺がいたからうまくいったんだ』という思いが強く出てしまったんでしょうね」 俳優の演技指導には手厳しかった黒澤監督も、三船の演技だけは黙って見ていたという。兵庫県宝塚市の東宝撮影所で「蜘蛛巣城」を撮っていたときのこと。 「三船ちゃんめがけて次々に矢が飛んでくるシーンが特に有名ですが、本来なら、安全のためにピアノ線を付けた矢を放つんです。ところがスタジオには弓道の達人の方が10人くらい集まっていた。本当に弓を射かけるのです。 その日の朝、三船ちゃんは悲痛な顔をしていました。私は同じメイク室だったので、その日の撮影内容も知っていましたから、『今日は大変ですね』と声をかけました。そしたら三船ちゃんは、しばし下を向いて、一言、『黒澤明の野郎、バズーカ砲でぶっ殺してやる』ですよ」
あの2人は最後まで磁石の同極
大スターの三船は、孤独でもあったという。 「黒澤組では、撮影が終わると監督以下、スタッフや役者は監督が泊まっている旅館で夕食をともにするのですが、三船ちゃんだけは出ませんでした。撮影では、お地蔵さんみたいに両肩に力を入れて、眉間にしわを寄せて何事か唸りながら座っている。黒澤監督でも近づけない雰囲気があったし、まして気軽に飲み歩ける仲間なんていませんでした」 それだけに勢い酒量が増えていく。 「昭和34年に、『暗黒街の顔役』(岡本喜八監督)で共演しましたが、三船ちゃんは革袋に入れたウイスキーの小瓶を持ってきていて、撮影中でも、ちょこっと飲む。いつも肩に力が入っていて、発散できる場所がなかったんでしょうね。黒澤あっての三船だし、三船あっての黒澤だけど、あの2人は最後まで磁石の同極みたいで、くっつきそうでくっつかなかったんですよ」
デイリー新潮編集部
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