角界を去り、命懸けで臨んだ格闘技界「相撲よりきつい」という本音…元担当記者が振り返る曙太郎さん
2003年秋場所、引退してまもなく3年になるという曙さんは、日本相撲協会で記者クラブ担当を務めていた。東関部屋の部屋付き親方。両国国技館の記者室では、巨体を丸め、星取表に丁寧な字で黙々と記録を付けていた。当時いじられ役だった私は、暇な時間帯の話し相手の一人。妙に格闘技の話題を持ちかけることが多かった気がする。 「ボブ・サップってどのぐらい強いと思う?」 「そんなの横綱の突き押しなら一撃で倒せますよ」 与太話にもならない適当なやりとりだったが、「そうか」とばかりに不敵な笑みを浮かべると、シャドーボクシングをしながら私の正面に立ち、シュッシュッと突きを繰り出してきた。平手ではあるが、こめかみの辺りにヒットさせて来た。続けて抱え上げられ、見舞われたのはボディスラム。じゃれ合っている姿に記者たちから笑いは起きたが、遊んでもらっている身としては、うれしいながらもけっこうな痛さだった。 誤解のないよう強調しておきたいが、これは、お互い同意した上での「悪ふざけ」だ。とはいえ、投げた私を見下ろしながら曙さんは笑っていたものの、目はどこか真剣だった。そして一つ気になったことがある。若貴と数々の名勝負を見せたあの横綱が、たかだか65キロ程度の私を一度持ち上げた程度で「ハァハァ」と息を乱していたのだ。 「曙 K―1入り」のニュースを見事に他紙に抜かれたのは、その約1か月後。そうか、そうだったのか…。あの時に気づいていればと悔やんだ。後悔と同時に浮かんできたのは「曙さん、大丈夫だろうか」という不安だった。今から再び強い身体を作り直すことができるのだろうか、と。引退後、ほとんど運動していなかったことは、体で感じ取れた。 その年の大晦日、「K―1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」で曙さんはボブ・サップに惨敗。その後は総合格闘技にも挑戦したが、全く振るわなかった。2005年以降はプロレスに参戦し、奮闘したが「憎らしいほど強い横綱」を知る者としては見るのが辛かった。 偶然だが、私も曙さんを追うように格闘技担当となった。2008年のK―1ハワイ大会で、プロモーターを務めた曙さんと久々に再会。ホノルルで一緒に夕食を取った。大会は約9000人の観衆が集まる盛況で、本人も元気だったが、プロレスラーとしての日々をこうもらしたのを覚えている。「相撲よりきついっすよ」。角界を去る時の悩みについても聞いたが、自分で決めて進む道を決めたことには後悔はしていなかった。 54歳という若さでの旅立ち。格闘家、プロレスラーとしての活動が、どれだけ心身を痛めてしまったのかは知る由もない。だが、愛する妻子と幸せな人生をもっと長く過ごす道はなかったのか。そう思うと胸が痛くなる。 (2001年初場所~06年名古屋場所 大相撲担当・甲斐 毅彦)
報知新聞社