鈴木おさむさんが語る“SMAP”と、あの頃の熱量。「改めておもしろい存在だと思った」
東日本大震災で、背中を押したさんまさんのひと言
――2011年の東日本大震災が起きたときのことも、鈴木さんご自身の気持ちや、みんなの不安、放送でSMAPになにをしゃべってもらうか? など、同書にこと細かく描写されていますよね。 鈴木:震災があったのは金曜日。その4日後の火曜日にさんま御殿が地上波のバラエティー、震災後初めての放送になったんです。放送翌日にさんまさんと会ったときに、「昨日すごかったですね」と感想を伝えたら、さんまさんが「だれかがやらんとな」って言ってくれて。 そのとき、僕たちはスマスマの生放送に向けて準備してたんですけど、スタッフ一同もちろん不安だし、家族のこととか考えると、うわの空な所ももちろんあって。でも、さんまさんのそのひと言がバラエティーのつくり手としての僕らの背中を、すごく押してくれたんですね。だから、そのときの思いを含めて、震災のことは書かなきゃって思いました。 ――番組を改めて見返してみて、なにか思うことはありましたか? 鈴木:無理に励ますのではなくて、共感しようってつくりになってましたね。視聴者から受け取ったFAXをもとに、メンバーが「電気つけっ放しにしちゃう」「買い占めしちゃう気持ちも分かるとか」とか、今できてないことまで含めて自分の言葉で語って。視聴者が「それでもいいんだよな」と思えるように、弱い気持ちにも寄り添っていて。 「だれかがやらんとな」の話につながると思うんですけど、つくり手含めたみんなが不安で、テレビへの批判も怖いなかで、視聴者含め多くの人を励ます、バラエティーでしか、SMAPでしかつくれない番組ができたと、今でも思っています。
「ゼロ地点」に感じた希望
――SMAPの解散以降もさまざまなできごとがあって、いろいろなことが変わり始めているかと思います。もし、最近鈴木さんが感じた変化などがあれば教えください。 鈴木:以前、テレビのインタビューで、林修先生と(草なぎ)剛くんが話していて、(スタジオを映した画面の)ワイプでは中島健人くんがうなずいているリアクションがあった。それを見て、改めて「時代が変わったな」と思いました。本にも書いてますけど、SMAPの解散に至るまでには、とてつもない悲しみとか、悔しさとかがあって。でもそれを経て、芸能界も大きく変わった。みんなが「つまらないことはやめようよと」行動できるようになった。 剛くんが「俺、あんまりテレビ出てないからさ」って言ってましたからね。人気がなくなって出ていないんじゃなくて、くだらないルールとかしがらみで出れなかったんだって、世の中の多くの人が感じている。現に、「昔人気だった」ってことじゃなくて、今もめちゃめちゃ人気があって引っ張りだこ。テレビのつくり手も、自分たちが共犯者であった罪を含めて、放送でコメントを使っていると思うんですよね。 僕が書いたことに対して、ハレーションはあまりにも大きかったけど、今、剛くんがそういうことをしゃべれる状況になったことを含め、書いた意味をすごく感じています。芸能界にはまだ古い部分がいっぱい残っていますが、僕の小説もきっかけのひとつになって、いろいろなことが壊れて、少しずつ明日に向かうスタートゼロの地点ができてきたのかなと。そういう意味での希望の物語として、僕の小説をぜひ読んで欲しいと思っていますね。 ※ 草なぎさんの「なぎ」は、正しくは弓へんに旧字体の前に刀
ESSEonline編集部