【今週はこれを読め! SF編】洒落た綺譚から、名状しがたい怪奇幻想まで~イーディス・ウォートン『ビロードの耳あて』
イーディス・ウォートンは、アメリカ上流社会の人間模様を描いた長篇『無垢の時代』(1920年)で、ピューリッツァー賞を受賞。また、短篇の名手として名を馳せた。本書は、ウォートンの怪奇幻想小説、および変わった趣のある作品を集めた、日本オリジナル編集。十五篇を収録。 表題作「ビロードの耳あて」は、アメリカの大学教授がフランスを訪れているとき、特急列車の部屋で、ひとりの婦人から話しかけられる。彼女はそれなりの教養がありそうだが、話の内容にとりとめがなく、ゆっくり考えごとをしたい教授にとっては迷惑このうえない。婦人は「自分の代わりにモンテカルロで賭け事をしてほしい」と、紙幣を教授に押しつけた。そこから、教授は数奇な運命に翻弄されることになる。欧州を旅する主人公、めぐりあった不思議な女性、舞台がカジノ、そして猫の目のように目まぐるしく変わる物語。ちょっと久生十蘭を思わせる、洗練の極みの一篇だ。 「ヴェネツィアの夜」も、異国情緒に彩られた作品。幼いころからヴェネツィアに憧れていたアメリカの青年トニーが、ついに念願の地に到着する。多彩な国の人びと、風俗、文化、事物が渦巻く魅惑の都。彼が生まれ育った街で一生涯かかって経験することよりも、ここヴェネツィアで一瞬に起こることのほうが多いのだ。わくわくしているトニーの手に、一片のメモが押しこまれる。「私は大変な困難に直面しています。どうか助けてください。ポリッセーナ」。ポリッセーナというのは、ヴェネツィアでもっとも目が綺麗だと評判の、上流階級令嬢だ。ロマンスとスリルと謎の渦中に、純情なトニーがいきなり投げこまれる。 こうした洒落た味わいの綺譚があるいっぽうで、ウォートンは名状しがたい怪奇も巧みに描く。 「夜の勝利」は、ふとした行き違いで、雪に閉ざされた館に世話になることになった主人公が、生霊のような存在に苛まれる。館の家族たちは親切だが、主人公に見えているものに気づいていない。あるいは、知らないふりをしているだけかもしれない。正面切って問えないまま、疑心暗鬼ばかりが募っていく。館の外に広がる雪のイメージが鮮烈だ。 「一瓶のペリエ」も、周囲から孤絶した環境で、じわじわと恐怖に晒される主人公の物語だ。こちらは、「夜の勝利」とは対照的に、容赦なく太陽が照りつける砂漠が舞台である。主人公は、この砂漠に佇む城砦で調査・研究をおこなっている知人を訪ねるが、相手は不在だった。しばらく待って帰ろうとするのだが、城砦に住みこんでいる従僕(イギリス人)にやんわりと引きとめられる。たしかに周囲は砂漠で、簡単に往き来もできないから待っていたほうがよいかもしれない。しかし、だんだんと様子がおかしいことがわかってくる。知人はどうしていないのか? 従僕は何を考えているのか? 現地人の雇い人たちは信頼できるのか? 物語は、読者の予想を超えた、奇怪な結末へとたどりつく。 「旅」は、病気で気むずかしい夫と付き添っている妻とが、転地療養先から戻る列車に乗っている。夫に異状が起こったとき、妻がまっさきに考えたことは......。展開は異常心理小説だが、微妙なペーソスが漂うところが独特で、長く余韻を引く。 (牧眞司)