『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』から世界の分断を考える──『ゲーム・オブ・スローンズ』の前日譚
エミー賞で史上最多59賞を受賞した大人気ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』。その約200年前を舞台にしたシリーズ『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』のシーズン2が最終話を迎えた。ジョージ・R・R・マーティンの小説「炎と血」をベースに、かつて七王国を統一し、絶大な権力を保持していたドラゴン使い「ターガリエン家」が巻き起こす王位継承争いを描く本作の、現代社会とリンクするかのような壮大なストーリーを読み解いた。 【写真を見る】『ゲーム・オブ・スローンズ』を未見でも楽しめる『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』のシーンをチェック!
『ゲーム・オブ・スローンズ』を観ていなくても大丈夫!
2010年代を代表するドラマシリーズである『ゲーム・オブ・スローンズ』は、ウェスタロスと呼ばれる架空の大陸が、冬の脅威と様々なハウスによる王位継承戦に見舞われていた期間、通称「氷と炎の歌」を描いた作品である。冬の脅威は気候変動、そして、王位継承戦は資本主義の競争のアナロジーとして、戦争の20世紀と、グローバリゼーションにより流通が拡大し、壁と海を越えて問題がやってくる時代を見事に総括していた。 『ゲーム・オブ・スローンズ』が2019年に完結して、2020年にCOVID-19が到来したのは象徴的だ。まさに「冬来たる」。今回紹介するのは、その前日譚のドラマシリーズ『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』。プリクエルということもあり、『ゲーム・オブ・スローンズ』を未見の人でも問題なく楽しめる作品になっているので、ぜひ、このタイミングでチェックしてみてほしい。 ■172年前、分断する国家 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』シーズン1の冒頭で、本作が『ゲーム・オブ・スローンズ』の時代から「172年前の話」であること、そして、「ドラゴンの一族が破滅するとしたら原因は自分たちにある」と語られる。私たちの世界の歴史に照らし合わせると、『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』シーズン1が公開された2022年の172年前は1850年、アメリカで「逃亡奴隷禁止法」が制定された年だ。これをきっかけに北部では奴隷制への反発が強まり、南北戦争へと発展していくことになる。2010年代から2020年代におきたグローバリゼーションという大きな物語(『ゲーム・オブ・スローンズ』)から、ひとつのハウス――国家が内戦によって破滅する小さな物語(『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』)へと舵を切ったのは、現在の国際情勢を見れば見事な先見性だったと言えるだろう。 ■「黒装派」VS「翠装派」 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』シーズン1の時点で、ウェスタロス大陸を支配するターガリエン家は最盛期にある。火薬がまだ発明されていないウェスタロスでドラゴンの力を独占しているのだから、歯向かう者がいないのは当然だ。しかし、『ゲーム・オブ・スローンズ』の時代にはドラゴンは絶滅しており、ターガリエン家は王位を剥奪され弱体化している。一体なにがあったのだろうか? 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』で描かれているのは、ターガリエン家とドラゴンの衰退を招いたきっかけである「双龍の舞踏」と呼ばれる内戦だ。レイニラ・ターガリエンを支持する「黒装派」とエイゴン・ターガリエン2世を支持する「翠装派」の戦いが、シーズン2でついに本格化してしまう。 全8話となるシーズン2は二者択一に始まり、二者択一で終わる。「どちらかを選べ」。そもそもそんな選択を迫られる状況自体がおかしいのだが、そのおかしさに気付けないのが戦時下なのだろう。「黒装派」と「翠装派」、ふたつの陣営の対立で中道は空洞化し、争いの発端はいつのまにか忘れ去られ、分断だけが深刻化する。利益よりも粗末な復讐心が優先されることで、国家が疲弊していくのは滑稽だが、私たちはその様子を笑える世界に暮らしていない。 ■困窮する市井の人々 シーズン2では、シーズン1でほとんど描かれることのなかった市井の人々の暮らしにも焦点が当てられていく。黒装派の水道封鎖により貿易が制限されたことで食料供給が難しくなり、翠装派がいるキングズ・ランディング(王都)に住む人々の暮らしは困窮する。戦時下において、貴重な食料は優先的にドラゴンのエサになってしまうからだ。 シーズン2の5話、どんどん身体が弱っていく子供を看病する親、見せしめとして吊るされていた死体が路上に降ろされ、そこを痩せた犬が通り過ぎ、王都から逃げ出そうとする人々の群れが門に押し寄せる。このエピソードの監督を務めたクレア・キルナーはシーズン1で『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』の原作である『炎と血』に書かれている「歴史」を、撮影という視点から見事に再定義していた。今回、そんな監督に任されたエピソードが、市井の人々のドラマだったのは納得だ。王都という空間をカメラで的確に捉えていくことで、歴史に新しい視点が加わっていく。 ■ドラゴンキーパーのストライキ 黒装派は軍備拡張のため、人手が足りなくなったドラゴンライダーを市井の人々から徴兵で補おうとする。ターガリエンが独占していたドラゴンというある種のテクノロジーを市民に解放してしまうのだ。これにより、ドラゴンの神性やターガリエン家の権威は揺らぎ、ドラゴンは市井の人々のアイデンティティになってしまうかもしれない。ドラゴンを神聖なものとして崇めている黒装派のドラゴンキーパーたち(守竜士)はこの決定に異議申し立てをして、城から去ってしまう。テクノロジーの解放と条件の見直しを要求する現場の声、ドラゴンが様々なメタファーにみえる本作だが、まさか2023年の「脚本家ストライキ」のアナロジーとしても読み解けてしまうから驚きだ。 ■炎と血、氷と炎の歌 シーズン1からトリックスターとして物語を掻き乱す存在だった黒装派のデイモン・ターガリエンは「ハレンの巨城」に足止めされ、シーズンを通してひたすら幻視に苦しめられていく。デイモンの幻視は「氷と炎の歌」の予言を見ることで決着する。彼はこの先の未来、つまり『ゲーム・オブ・スローンズ』の時代に何が起きるかを知り、物語に膝をつくことを決めるのだ。かなりメタ的な展開だが、シーズン2がなぜ北部から始まったのかもこれで合点がいく。デイモンが心変わりをして、「炎は監獄、海は逃げ道を与える」というシーズン1・7話のセリフを反復するようなショットでシーズン2は幕を閉じる。歴史の檻に囲われた黒装派のレイニラ・ターガリエンと、海を見つめる翠装派のアリセント・ハイタワー。ターガリエン家が掲げる「炎と血」という標語が、一族とドラゴンを滅ぼしていく。 ■ドラマよりも悲惨な私たちの世界 さて、シーズン4で完結する『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』、次作のシーズン3では破滅へと向かって戦いはさらに激しくなっていくと予想される。その頃、私たちの世界はどうなっているだろう──アメリカの議会議事堂襲撃事件、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃、トランプ大統領暗殺未遂事件、ソーシャルメディアを見れば子供の死体が次から次へと流れてくる──架空の中世を舞台にしたドラマシリーズより、よっぽど中世のような現実の世界で、『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』を観ることにどんな意味があるのだろうか。 本作の撮影風景を見てみると、ドラゴンの火に人々が焼かれるシーンは、実際にスタントマンに火をつけて撮影しており、焼かれて重度の怪我を負ってしまった人物も、特殊メイクで生々しく再現されている。ここには芸術を通して、戦争を考えるプロセスがある。作り手と受け手が作品を通して、現在の世界を捉えるコミュニケーションの場として(優れた神話がそうであるように)『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』は存在している。過去から未来へと続く縦糸と、現在を記録する横糸が絡み合う歴史のタペストリー。私達は創作を通して世界を捉えることを諦めてはいけない。この世に物語以上に強力なものはないのだから。 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』シーズン1・2 U-NEXTにて見放題で独占配信中 文・島崎ひろき、編集・遠藤加奈(GQ)