パリ五輪・フェンシング銅メダル 尾崎選手(鹿児島南高出身)もう一つの挑戦 鹿児島
パリオリンピックのフェンシング女子サーブル団体で銅メダルを獲得した、鹿児島南高校出身の尾崎世梨選手が、18日まで行われた国民スポーツ大会の九州予選に、鹿児島代表として出場しました。 高校3年間を過ごした鹿児島の代表として出場することを決めた尾崎選手。そこには特別な理由がありました。 18日まで宮崎で開かれた、フェンシング競技の国民スポーツ大会九州ブロック大会。 10月に佐賀で開かれる国民スポーツ大会の出場権をかけて、成年女子、少年男子、少年女子の3部門で、九州各県の代表が総当たり戦を行います。 「おはようございます」 「銅メダルおめでとうございます」 「ありがとうございます」 成年女子で鹿児島代表として出場する尾崎世梨選手。 先日まで開かれたパリオリンピック。 尾崎選手はフェンシング女子サーブル団体で、リザーブ登録ながら3位決定戦のメンバーに抜擢され、世界の強豪相手にポイントを重ねました。 日本に流れをもたらす活躍を見せ、銅メダル獲得に大きく貢献しました。 今大会の会場には、女子フルーレ団体で銅メダルに輝いた上野選手や菊池選手、さらに、尾崎選手とともに女子サーブル団体に出場した、福島選手ら4人の銅メダリストが集結。 尾崎選手がチームを組むのは、高校時代の同級生たちです。 このメンバーには、ある特別な思いがありました。 北海道出身の尾崎選手は、中学時代から本格的にフェンシングをはじめ、高校3年間をフェンシングの強豪・鹿児島南高校で過ごしました。 高校2年の頃にはインターハイの個人戦で準優勝に輝いた尾崎選手。 しかし、3年生の夏、思いも寄らない事態が起こります。 新型コロナウイルスでインターハイが史上初の中止にー。 失われた日本一への挑戦。 あれから4年、尾崎選手は当時の同級生とともに、ある誓いを立てます。 「もう一度、このメンバーで日本一に挑戦しよう」 成年女子 鹿児島代表・尾崎世梨選手(鹿児島南出身) 「優勝できるチャンスがあった全国選抜やインターハイがコロナでどんどん消されていったのでリベンジという意味を込めて、3人で組むことになりました」 上片平健アナウンサー 「パリオリンピックの激闘から約2週間。銅メダルに輝いた尾崎選手の鹿児島県代表としての戦いが始まります!」 3人1組で戦う成年女子。 初日はフルーレ、2日目はサーブルで争われ、それぞれ5ポイントマッチを3試合行い、2勝した方が勝利となります。 サーブルの初戦の相手は、強豪・福岡。 第1試合、鹿児島は1人目の玉利選手が5対3で1勝を挙げます。 続く、第2試合。 2人目の馬場選手は、パリオリンピックのサーブル団体銅メダリスト福島選手相手に、善戦しながらも敗戦。 1勝1敗で、勝負の行方は3人目の尾崎選手に託されました。 最初のポイントを奪った尾崎選手。 しかし、パリオリンピックの激闘からわずか2週間で万全の状態ではなく、相手の勢いに押されてしまいます。 2対5で敗れ、福岡が2勝。 初戦を落としてしまいました。 それでも、2戦目以降、気持ちを切り替えた選手たち。 あのとき挑戦することさえできなかった日本一の夢。 3人は失われた時間を取り戻すかのように、チーム一丸となって戦い抜きました。 残りの試合を全勝し、鹿児島はサーブルで2位になったものの、前日のフルーレの5位が響き、合計得点でわずか1ポイント届かず、国民スポーツ大会の出場権を獲得することはできませんでした。 成年女子 鹿児島代表・馬場菜緒選手(東京女子体大) 「悔しい気持ちが大きいけど、楽しく終わることができて良かった」 成年女子 鹿児島代表・玉利華奈乃選手(日体大) 「3人で日本一になりたいという思いがあって組んだので、またいつか3人で組めたらそのときはまた頑張りたい」 成年女子 鹿児島代表・尾崎世梨選手(法政大) 「3人で組めた経験は絶対に無駄なものにはならないし、またいつか組めるチャンスがあれば、3人でまた日本一を目指して、チャレンジャーの気持ちでやり直したい」 高校時代の仲間と挑んだ今大会。 敗れはしたものの忘れ物を取り戻した3人は、またそれぞれの道を歩み始めます。
鹿児島テレビ