英とも米とも違う日本の「政治主導」 旧民主党と変わらない安倍政権
官僚を「戦う相手」とみなした旧民主党政権
前川前次官の座右の銘ではないが、今や霞が関は「面従腹背」の塊になった。支持率が下がり続け、選挙の一つでも負ければ不満のマグマは予想もつかぬところからあふれ出す可能性がある。 この状況は2009年に政権交代を果たした後の旧民主党政権とよく似ている。あの時、国民の熱狂的な支持に舞い上がった旧民主党は霞が関と戦うことが「改革」だと思い込み、小沢一郎氏が英国を真似て与党議員の多数を官僚機構に参加させようと提案したのを一顧だにせず、官僚を公開の場に呼んで追及する「事業仕分け」によって国民の喝さいを浴びようとした。 私にはそれが官僚に対する「公開処刑」のように見え、政権運営はうまくいかなくなるだろうと思ったが、果たして官僚機構は動かなくなり、旧民主党は政権運営に行き詰まった。官僚は使いこなすべき相手であって戦うべき相手ではない。それを勘違いした旧民主党が権力を失うのは当然であった。 戦前の日本政治は薩長藩閥政府と政党政治の戦いの連続で、天皇の威光を背にした官僚が常に政治より優位にあった。戦後は占領軍が政治家を公職追放する一方で官僚機構を日本支配の道具として残し、片山哲と鳩山一郎、石橋湛山以外は吉田茂、芦田均、岸信介、池田勇人、佐藤栄作と官僚出身の政治家が相次いで首相になった。 そうした伝統を覆したのは田中角栄元首相である。学歴のない田中はしかし霞が関の官僚たちから一目も二目も置かれた。それは旧民主党や安倍首相のように官僚と戦ったからではない。いわんや金で官僚を買収したわけでもない。官僚に自由に仕事をさせ、その代わり責任はすべて自分がとると宣言したからである。 そのうえ自分で法律を作った。直接間接に関わった議員立法の数は100本を超え、誰も田中を抜くことは出来ない。それとは逆に立法を霞が関の官僚に丸投げし、そのくせ情報を官僚に頼り切り、しかも「政治主導」だと言って威張る政治家を官僚が評価するはずがない。 米国は幹部公務員の人事を大統領が行うが、議会も人事に関与し、国民に見える形で官僚の資質が判断される。英国は政治家が官僚機構に入り込むが事務の公務員人事に政治は介入しない。しかし日本の「内閣人事局」という制度はまるで官邸の独裁を可能にする。それが今国会で見えるようになった。しかしこれではこの国の政治がまともになるはずがない。
--------------------------------- ■田中良紹(たなか・よしつぐ) ジャーナリスト。TBSでドキュメンタリー・ディレクターや放送記者を務め、ロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材する。1990年に米国の政治専門 チャンネルC-SPANの配給権を取得してTBSを退職、(株)シー・ネットを設立する。米国議会情報を基にテレビ番組を制作する一方、日本の国会に委員会審議の映像公開を提案、98年からCSで「国会テレビ」を放送する。現在は「田中塾」で政治の読み方を講義。またブログ「国会探検」や「フーテン老人世直し録」をヤフーに執筆中