せっかちな批評家に迫害されていたロドリゴが、わずか2試合で救世主に――サッカー界で深刻な評価の浮き沈み【現地発コラム】
メディアは血まみれの世論調査を行い、ファンは瞬時の行動を要求
バルセロナでは、2人のジョアン (ジョアン・フェリックスとカンセロ)が、ポルト戦(CLグループH第5節、バルサが2-1で勝利)でチームの解決策となるまで、問題視され続けた。幸いなことに、2人は揃ってゴールを決める決定的な働きを見せたおかげで、メディアからカップルダンスのようにセットで評価されるステイタスを失うことを免れた。試合ごとに評価を変えたりするには、両者はもう十分なキャリアを積んでいるにもかかわらず、だ。 選手に起こっていること以上に深刻なのは、監督への評価の浮き沈みだ。情熱という潮流の前では彼らは常に無防備だ。深刻な財政難に苦しむバルサをラ・リーガ王者に導いたシャビは、数回の引き分けでその信頼性を疑問視された。 ディエゴ・アロンソに至っては、セビージャに上陸してから、解任されるまでメディアに袋叩きにされ続けた。そのような環境で誰がまともに働くことができるのだろうか? サッカー界というモンスターの中で生き、その内情を肌で感じてきた私は、敗北が引き起こすプレッシャーの種類と、それがクラブにもたらす震えを知っている。多くの場合、最善の解決策は立ち止まることだが、メディアは血まみれの世論調査を行い、ファンは瞬時の行動を要求し、経営陣は脅威を感じる。 しかしながら、そうした反応がいくら正直なものであっても、ファンやメディアは言うに及ばず、経営陣を占める多くの人間でさえも、しょせん遠くから見ている目撃者に過ぎない。 ドレッシングルームに出入りできる者だけが、監督の胆力を感知し、試合中に発する不安と安心のサインの解釈法を知っている。選手たちが指導法を尊重し、努力を惜しまないのであれば、それはすなわち監督の言葉が信頼に足るものと感じ取り、コミットメントに従って生きている証だ。 結果がどうであれ、ギロチンを最も巧みに使いこなすのは処刑人である。 文●ホルヘ・バルダーノ 翻訳●下村正幸 【著者プロフィール】 ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。 ※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。