「やっと立ち上がろうとしたときに…」珠洲の名産品・珪藻土の七輪 本社工場は全壊 従業員戻れず出荷できない状況続く
能登半島地震は珠洲を代表する産業に暗い影を落としています。名産品の七輪を製造する丸和工業では本社工場が全壊したうえ、いまも従業員が戻って来ることができず事業再開のめどが立っていません。 【写真を見る】「やっと立ち上がろうとしたときに…」珠洲の名産品・珪藻土の七輪 本社工場は全壊 従業員戻れず出荷できない状況続く 丸和工業・石崎秀忠共同代表 「このブルーシート、これが窯なんだよ」 珠洲市の名産品のひとつ、珪藻土を使った七輪を手がける丸和工業の本社工場。建物全体が潰れ、工場の生命線とも言える窯は骨組みだけが残りました。 丸和工業・石崎秀忠共同代表 「屋根自体無いでしょ。ドーム型の。向こうが見える、透けてね」 丸和工業はおととしの震度6弱の地震で七輪を焼く窯が壊れたうえに、去年5月の震度6強の地震では再建した窯が入っている建物が斜めに傾く被害を受けました。しかし、地場の産業を止めてはならないと、先代の窯がある別の工場をメインに操業を続け、復興に向けた歩みを進めていました。 丸和工業・石崎秀忠共同代表 「やっと立ち上がって、やっていこうと思ったときにこの震災があったからね。がっかりだね」 本社工場から約2.5キロ離れた杉山工場。地震が発生した元日にも窯の中には焼く前の商品が入っていたといいます。 丸和工業・石崎秀忠共同代表 「お客さんからの注文が大量にあったので窯を炊き上げないと出荷できないので、1月の4~5日。日中夜にわたって私窯を焚いたんですよここでね」 元日の時点で入っていた注文はおよそ100個。石崎さんは一刻も早く客に商品を届けようと地震発生から3日後、工場の中で1人窯を炊く準備を始めました。 丸和工業・石崎秀忠共同代表 「中見たらやっぱり、破損した焼く前の製品があったんですよ。それを一旦出して製品化できるいい状態のやつをまた中に入れて」 窯に入っていた商品約80個のうち、20個は商品としては使えず、無事だった残りの60個を焼き上げました。しかし、客にいち早く届けようと焼いた七輪はいまも工場に残ったままです。 丸和工業・石崎秀忠共同代表 「社員が戻ってくればすぐ出荷できる状態に段取りをつけておいたんですね。ところが皆さん地元にはほとんど残っていなくてね。住む家がないっていうんでね帰れないんですよね」 従業員9人のうち、市内に残っているのは石崎さんを含め2人だけ。丸和工業の七輪作りは分業制で、従業員が戻らない限り出荷までこぎつけることができません。 丸和工業・石崎秀忠共同代表 「従業員が住む家、そこで生活できる状態してほしいですね。そうしないと一歩踏み出せないです」 地震の度に被害を受けながらも事業を続けてきた丸和工業。能登半島地震から2か月あまり、商品の七輪は未だに出荷できる見通しが立っていません。それでも石崎さんは珠洲のためにも被害を乗り越えたいといいます。
丸和工業・石崎秀忠共同代表 「ここの地場産業でもあるし伝統工芸でもあるのでその火を消しちゃだめですね。そうしないと珠洲市全体の過疎化がさらに拍車をかけますね。だからこの産業は絶やさない、そういう考えです」
北陸放送