ドイツで極度のホームシックも経験 なぜ長谷部誠は40歳まで現役を続けられたのか【コラム】
10代の頃は茶髪も“チャラ男”のような言動はなし
ドイツ1部フランクフルトの元日本代表MF長谷部誠は、4月17日に今季限りでの現役引退を発表した。40歳まで世界トップレベルで戦い続けた男と支えたものとは――。(取材・文=島崎英純)。 【写真】「懐かし過ぎ」「好きすぎて毎日眺めてた」 長谷部誠、“若かりし頃”のハンサムショット ◇ ◇ ◇ 長谷部誠が藤枝東高校からJリーグの浦和レッズへ2002年に加入してから今まで取材をしてきた筆者から見ると、彼の印象は一貫して変わっていない。10代の頃の彼はたしかに茶髪だったが、いわゆる“チャラ男”と称されるような言動や、それに値する行為を見聞きしたこともない。 負けん気は強かった。高校時代までにさしたる実績がなかったにもかかわらず、練習では自身のことをアピールし続けていたし、セカンドチームのゲームで控えGKと彼だけが出場機会を与えられなかった時には涙を流して悔しがった。ただ、後年に本人に当時の思いを聞くと、プロのプレーレベルに戸惑い、到底成功は望めないとなかば諦めていたという。ただ、その本心とは裏腹に表向きの彼はどこまでもがむしゃらで、果敢に勝負する姿勢を崩さなかった。 プロ2年目からコンスタントに出場機会を得ると、長谷部の自信はいい意味で増幅されていった。当時の浦和は元日本代表監督を務めたハンス・オフトがチーム改革を進め、2004年シーズンからは選手OBで元ドイツ代表DFギド・ブッフバルトが指揮を引き継いで精力的な選手補強を敢行してトップを目指し始めていた。 ちなみに浦和は2003年シーズンにヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を制してクラブ史上初タイトルを獲得したが、長谷部は決勝の鹿島アントラーズ戦で日本代表クラスの選手が先発して自身が控えに回ったことを今でも悔しがっていて、「正直、『タイトルを獲った!』という気持ちにはなれなかった」と吐露している。 浦和に加入した当初の長谷部はトップ下のポジションにこだわりを持っていた。攻撃のタクトを振るうこのポジションの役割にやり甲斐を感じていて、最も好きなプレーアクションは「スルーパスを出した時」と語っていた。また、スキーのスラローマーのようなドリブルは非常にテクニカルで、相手の隙間を縫うようにスルスルと前進するその挙動は彼の特長を端的に表していたと思う。その後はポジションを一段下げてボランチでのプレーが増えたが、むしろロングディスタンスのスラロームドリブルは一層脅威を増し、彼自身も今ポジションでの手応えを確実に掴んだように見えた。