契約更改で「もう出ていけ」 常識外れのルール破り…ドアに貼り付けた“罰金”
球団に内緒で車を所有…楽しんだ深夜のドライブ
罰金2万円を払った上に、当然、外で使うお金も必要になる。何回も同じことをやりたくてもできなかったようだが、中日が優勝した1982年のプロ3年目には臨時収入を罰金の前払いに使ったこともあったという。「優勝争いをしていたので賞金が出るじゃないですか。それを何試合分かまとめてくれるんですよ。賞金を積み重ねたヤツが茶封筒に入ってね。それを寮長に『当分、これでまかなってください』と言って渡した記憶がありますね」。 その3年目には休みの前日に夜中に合宿所を抜け出して、京都まで遊びに行ったこともあったそうだ。「車を寮の近くに停めていたんですよ。寮生は免許証を預けなければいけないんですけど、僕は拒否して預けていなかった。車を持っていたのは内緒でしたけど、(寮長とかは)知っていたんじゃないですかねぇ。あの頃はフェアレディZに乗っていたかなぁ。僕は酒を全く飲めないので車を運転して京都までとか、まぁそれくらいしか楽しみもなかったのでね」。 当時の中日の場合、高卒選手は4年間、合宿所で生活するのが決まりだったが、牛島氏は2年目(1981年)オフの契約更改交渉で1年前倒しの3年での退寮を希望。「『来年、納得する数字を残して給料も上がったら、寮を出してくれますか』って交渉したんですよ。で、3年目に優勝して給料も上がって『もう3年でいいよ、出ていけ』って感じで出してもらったんです。僕が勝手に出たわけじゃないですよ。ちゃんと契約更改で球団と話をしてのことだったんですから」。 3年目の牛島氏は7勝4敗17セーブ、防御率1.40の成績で優勝に貢献したが、そもそも結果を残せば、寮を出られるということが大きな発奮材料になっていたという。「とにかく寮から早く出るんだって思っていましたからね」。頭脳派投手として有名だった牛島氏のヤンチャな過去。若かりし頃から、マウンド同様にグラウンド外でも大胆さもあれば、ずる賢さもあったようだ。
山口真司 / Shinji Yamaguchi