松尾潔が八代亜紀を追悼「歌の神様に選ばれた人」
演歌の女王・八代亜紀さんが亡くなった。音楽プロデューサー・松尾潔さんが「歌の神様に選ばれた人」と評したその歌声は、ままならぬ日常を過ごす人に寄り添いつづけた。彼女のファンでもある松尾さんが1月15日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で不世出のシンガーを追悼した。
父親の“間違い”でジャズに出会う
八代亜紀さんが昨年の暮れ、12月30日に亡くなっていたということが年が明けてから報じられました。73歳という、今の時代では「お若いな」という感想を漏らしてしまう若さでした。きょうはその八代亜紀さんのことを振り返ってみたいと思います。 八代亜紀さんは熊本県八代(やつしろ)市の出身で、その地名が「八代」という芸名の由来になっています。ハスキーボイスで知られていますが、小学生の頃から地元では今でいう「天才歌うまキッズ」、コンテストの常連でした。 父親は大変な浪曲好きで、家では常に浪曲が流れているような環境だったそうです。これは本人曰くですが、アメリカの女性ジャズシンガーであり、女優でもあったジュリー・ロンドンのレコードを、父親がジャケットを見て“間違って”買ってきたんだそうです。 そのジュリー・ロンドンもまた、ハスキーボイスで知られている人です。「Cry Me a River」という有名な曲があって、僕だけでなくいろんな人が取り上げているスタンダードですが、父親が間違って買ってきたレコードにその曲が収録されていました。小学5年生の八代亜紀さんも心惹かれたそうです。 八代さんのハスキーボイスは子供の頃からで、医師からも「特殊な声帯を持っていますね」と言われるぐらい生まれつきのものらしいです。もともとはコンプレックスでもあったそうですが「歌、とくにジャズを歌うためにはいいんだな」ということに、早い時期に気づくきっかけにもなりました。
無名時代には五木ひろしと銀座のクラブで共演
中学校卒業後、地元でバスガイドになったんですが、数か月でやめて上京しました。でも、すぐに演歌歌手になったわけではなく、銀座でクラブ歌手になり、(ジャズの)スタンダードナンバーを歌っていたらしいです。 その無名時代には、後のライバルとして日本レコード大賞を争った五木ひろしさんのギターに合わせて、八代亜紀さんが歌うという、そういうこともあったそうです。もしその場に居合せたことがあったなら、まさにお宝ともいえる経験ですね。