Xで「ジャイアント馬場」・「馬場さん」トレンド入り!逝去から早25年、今も愛される“東洋の巨人”
逝去して25年が経過した今も語り継がれるジャイアント馬場さん
ジャイアント馬場さんが逝去してから早25年が経過した。 逝去された日が1月31日の出来事であったが、2024年1月31日現在でもX(旧Twitter)で「馬場さん」や「ジャイアント馬場」がトレンド入りしている。 ※X(スポーツ · トレンド #馬場さん 6,006件のposts)2024年1月31日21:35現在 ※X(スポーツ · トレンド #ジャイアント馬場 1,135件のposts)2024年1月31日21:35現在 25年が経過した今でもジャイアント馬場さんの偉大な足跡はファンや関係者の心に残り続けている。 ジャイアント馬場さんは1960年代にプロレスのキャリアを開始し、すぐに日本で有名になり、その時代のトップスターの 1 人になった。 当時、世界最高峰のNWA世界へビー級王座をはじめ多数の王座獲得歴があり、その時代の最も偉大なレスラーの 1 人として広く認められていた。 またリング内での実績に加えて、馬場さんはプロモーターでもあり、全日本プロレスを日本でトップのプロレス団体の 1 つとして確立する上で重要な役割を果たした。 馬場さんが日本のプロレスとその文化に与えた影響は計り知れず、今もレジェンドレスラーや関係者からも業界の伝説として広く語り継がれている。 ジャイアント馬場記念館の公式Xでは「【あの日の馬場さん=1999年1月31日】午後4時4分、かねてより入院中だった東京医大病院で上行結腸ガンによる肝不全のため永眠。享年61。その事実は当初、馬場夫人・元子さんの意向で伏せられたが、翌1日に緊急記者会見が開かれ公となり、日本全国に衝撃が走った。」とポスト。 命日に合わせ、馬場さんの弟子である大仁田厚や、元プロレスラーの小橋建太さんがSNSで思い出を発信している。 ▼大仁田厚 「#馬場さんの命日 思い出す蔵前国技館での初対面 やっぱりデカい人だと思った 15歳の俺を一目見て 馬場さんは言った 『昭雄!合宿所に入れてやれ』 寮長であり先輩の佐藤昭雄さんである 俺の入門は即決で決まったのだ あれから長い年月が流れたが いまでもジャイアント馬場さんを思い出す」 ▼小橋建太さん 「馬場さんが亡くなって今日で25年になります。 1999年1月31日に会社から電話があり三沢さん、川田さん、田上さん、僕の4人が会社に集まり、みんな一緒に馬場さんのご自宅に行きました。 既に恵比寿のマンションには、大勢のマスコミの人達がいました。 そして部屋に行き亡くなられた馬場さんと対面しました…入門テストを受けに滋賀県大津市体育館に行き馬場さんに面接して頂いた事、(デビューした頃)PWFのベルトを巻かせてもらった事やプロレスラーになってからの色々な馬場さんとの思い出が、頭に浮かび涙が溢れて来ました。 感謝」 コロナ禍で苦境にあえいだスポーツビジネス界、ジャイアント馬場さんが設立した全日本プロレスも昨年末から選手の離脱が相次ぎ混迷の状況下にある。 こんな時、馬場さんが生きていたらどうやって切り抜けるのだろうか? ファンを大事にしていた馬場さんは震災で被害にあった方々に支援物資を届けに行ったり、震災に遭われた方を勇気づけるべくプロレス大会を開催した事もあった。 運営会社も変わった全日本プロレスを、今でも支えるファンは数多くいる。 エース宮原健斗をはじめ、前三冠王者・青柳優馬、スーパールーキー安齊勇馬、そして諏訪魔や斉藤ブラザーズを筆頭とする日本人大型ファイターが集結している全日本プロレス。 ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん、三沢光晴さんらが残してきた偉大な足跡を引き継ぐ新時代の全日本プロレス、これからも更に「明るく楽しく激しいプロレス」に期待したい。 <プロレスTODAY総監督:山口義徳>
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