なぜフランスでは「日本アニメ」が人気なのか? 背景に「安さ」と「気候」
■アジア人を脅威とする「黄禍論」で終了した19世紀の「日本ブーム」 19世紀の日本ブームのきっかけは輸入した陶磁器のクッション材として使われていた葛飾北斎の作品にあると言われているが、本格的なブームの始まりは1862年に開催されたロンドン万博と1867年のパリ万博からで、1873年のウィーン万博がブームを決定づけた。 ヨーロッパの富裕層が浮世絵を始めとする日本の芸術品を買い漁り、マネやゴッホ、モネ、ゴーギャン、ルノワールなどといった印象派の画家たちは日本文化から多大な影響を受けた。 日本で存命中の画家では河鍋暁斎の人気が高く、鹿鳴館の設計者として知られるイギリス人のジョサイア・コンドルやオーストラリア出身のモーティマー・メンペスなど、暁斎に弟子入りした外国人も複数存在した。 しかし、フランスにはアジアに憧憬を寄せる空気と同時に蔑視する空気も存在して、19世紀末頃からは、アジア人の台頭を世界の脅威とする黄禍論の広がりを受け、一部の好事家を例外として、日本ブームはいったん終焉を迎える。 その後、前述のとおりフランスにおける第2の日本ブームは悪天候がきっかけで始まり、インターネットというテレビや紙媒体を通さない情報環境の出現が、ブームを確かなものへ押し上げた。ブームはいつか去るものだが、前回のようにパージの形で終わらならないことを願いたい。 画像…「化々学校」(東京都立図書館所蔵)編集部にてトリミング
島崎 晋