目の前で津波に消えた夫 「生かされた者」の意味…店の再建誓う 【東日本大震災13年の“あれから”】
■震災1年3か月 夫が見つかった場所は…
震災の1年3か月後、行方不明だった夫の遺体が見つかりました。夫が見つかったのは、店からわずか200メートル。解体が始まったばかりの市営アパートでした。 菅原文子さん 「ようやく主人を迎える事ができて本当に安心しました」 「そうですか。お父さんここにいたんだ…」 夫は、生まれ育った街を見守るように眠っていました。 その頃、長男の豊樹さんはコンビニの経営に乗り出しました。一家の大黒柱として生活を支え、酒店の再建を後押しする道を選んだのです。店の看板は、二男の英樹さんと守っていくことになりました。
■鹿折での再出発 “運命的な場所”で
震災前、およそ7000人が暮らしていた気仙沼市・鹿折地区。2022年時点で、人口は3000人近く減り、町を出て生活を立て直した人も少なくありません。店があった場所には、避難道路が整備されることになり、夫の愛した店は姿を消しました。 鹿折地区の外を転々としながら仮店舗で営業を続けた文子さん。町の姿は変わっても、もう一度、夫と過ごした鹿折で店を再建したい―――。震災から5年が経った頃、“運命的な場所”でその願いは叶いました。 知人の紹介で借りた場所。そこは、夫の遺体が見つかった市営アパートの跡地だったのです。 菅原文子さん 「お父さんがここでやれっていうことなんだなと思ってね」 「何かすごくパワーをもらったというか」 「この鹿折の地でまた本当に“すがとよ酒店”の看板を掲げて新たな商いの道を歩みます」 「どうぞよろしくお願いします」 夢にまで見た鹿折での再出発。「街ににぎわいが戻る日まで店の看板を守る」と、亡き家族に誓いました。
■“相手があっての商売”なのに“相手がいない”
2022年2月、配達の準備をする二男の英樹さんは、「もうこれで(準備は)終わりです、あ~あ」とため息をつきました。新型コロナに見舞われて2年。感染状況に比例するように、取引のある飲食店からの注文は大幅に減りました。 菅原英樹さん 「やっぱり来店されるお客様がそもそもいないですから。相手があっての商売ですからね」 「相手がいない状況で、どうやって商売をするかっていうのは、今まで経験したことがないような大問題です」 この日訪れた店でも、午後4時閉店が続いており、アルコール提供も「ほとんどやっていない」といいます。震災後、大幅に減った店の売り上げは、新型コロナの影響でさらに減りました。訪ねる先でも、明るい話題が出ることはほとんどありません。ふるさとが活気を失っている今、地域を支える存在でありたい―――。 菅原英樹さん 「(震災が起きた)あの時、辛い思いした時に“頑張って前を向こう”という気持ちが今でも続いています」 「このコロナに負けず頑張っていきたいなと思ってます」