「私は8時間やりました!」 ギャンブルのように延々と… 脱会信者が語る「宗教」と「依存症」の“共通点”
世間から「問題がある」とされている宗教に、なぜ入信するのだろうか。 多くの人にはピンとこない話かもしれないが、“内側”にいた人たちの証言からその体験世界をのぞけば、誰もが「狂信」する可能性にドキリとするかもしれない。 本連載では、宗教2世の「当事者」であり、問題に深く関心を持つ「共事者」でもある文学研究者が、宗教1世と宗教2世へのインタビューをもとに、彼らの「狂信」の内側に迫る。 今回は、脱会した信者たちの分析による「宗教と依存症の共通点」を紹介する。(第5回/全6回) ※ この記事は、文学研究者・横道誠氏による書籍『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』(太田出版)より一部抜粋・構成。
エホバの道具と南無妙法蓮華経
リネンさんは、信仰と依存症の関係は似ていると考える。精神保健福祉士としてクリニックに務めていたことがあるが、そこの院長は「カルト宗教も依存症のひとつです」と言っていた。たしかに構造的に似ているとリネンさんも思っている。 エホバの証人の共同体に依存していると、じぶんで考えなくて良いから楽だった、とリネンさんは語る。判断を委ねてじぶんで考えるのを放棄することができた。「エホバの道具になりきるように」と激励された。「エホバの気立ての良い娘でありなさい」とも言われた。 初めから自主性を手放すことに積極的ではなく、抵抗する思いもあったけれど、いざ手放してみると、守るべき大きなものがなくなって、楽だと感じた。時間を差しだし、雑用を引きうけ、手話通訳の任務に没頭した。夢中になりすぎて歯止めが利かなくなり、体を壊したが、断るのは悪いことだと思っていた。 ツキシマさんも宗教と依存症は近いものだと考える。勤行をして、「南無妙法蓮華経」を唱えるのを繰りかえした。創価学会の会員たちは、何時間もそれをやるんだと自慢しながら話している。「8時間、唱題しました!」のように語る。 ツキシマさんが文字曼荼羅に向かってずっと唱えていると、酩酊感がやってきた。池田大作の手足となりたいという思いが強まった。ふだんの活動も同様で、ギャンブルのように延々とやってしまっていると感じていた。 【横道 そんなにのめりこんだのに、脱会後に反動のようなものはなかったのですか。】 【トモ それが、はっきりしたものはなかったんですねえ。しばらくは落ちつかなかったけれど、2、3週間するとそわそわしなくなりました。】 【横道 そうなんですね。依存症状態になってしまう人と、何が違うと思いますか。】 【トモ わからないけど、鬱病になっていて、病気になっていて、動くエネルギーがなかったのがプラスに働いたのかもしれません。】