【ぴあ連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第11回)80年代──エネルギーにあふれていた時代
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。 【すべての画像】『北斗七星』ジャケット画像ほか 第11回 80年代──エネルギーにあふれていた時代 風からソロになるまでに結構ブランクがあったという感覚だったのだが、改めて振り返ってみると実質1年くらいしか空いていない。そのあいだは旅をしたり、まあとくにこれといって何をしていたわけではなかったのだが、曲作りは自然と行っていた。 ソロになってリリースした1枚目のアルバム『北斗七星』(1980年4月)は、風の最後のアルバム『MOONY NIGHT』で自分がやりきれなかった部分を追求しようと思い、制作に取り掛かった。しかし蓋を開けてみたら、自分の描いたところへはなかなか着地できなかった。理由はいくつかあるのだが……、もっとも大きかったのはレコーディングをしたメンバーの中心になっていたのが、PARACHUTE(※林立夫、今剛など国内の一流ミュージシャンが集まったスーパーバンド)の面々だったということだ。語弊がないように言っておくと、彼らに原因があるわけではない。単純に彼らの技量に僕が追いついていなかった──それだけだ。 それともうひとつあったのが、伊勢正三のソロ1作目への周りの期待感も含めた僕自身へのイメージだ。やっぱりかぐや姫と風のインパクトが強いというのがソロになって改めて実感することとなった。言葉は悪いかもしれないが、どこかでそういったものと妥協しなければいけないというか、他人が求めている感じのものを入れなければいけないのかなと迷うところも正直言ってあった。 『北斗七星』をリリースしたあと、武道館でライブを行うのだが、やっぱりお客さんが求めるものが最新アルバムに入っている曲よりも、かぐや姫や風の時代にヒットした曲を求めているというのは肌で感じられた。また、この武道館でのライブのときにこんなことがあった。テレビCMとのタイアップでヒット曲が生まれはじめていた時代、僕のところにもある有名企業から大きなタイアップの話が持ちかけられた。武道館のライブに企業の人たちも来てくれたわけだが、彼らが気になるのは、そこに来ているお客さんがどんな人たちなのかということであり、僕の音楽ではなかった。そのことに当時の僕は違和感を感じてしまい、結局断ってしまった。今ならそんなバカなことは絶対にしないけど(笑)。