なぜ同性愛者の私が僧侶の修行を受けたのか メイクアップアーティスト・僧侶 西村宏堂
黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(1月24日放送)にメイクアップアーティストで僧侶の西村宏堂が出演。LGBTQ+(プラス)として生きていくことについて語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。1月22日(月)~1月26日(金)のゲストはメイクアップアーティストで僧侶の西村宏堂。3日目は、僧侶の修行を受けるまでの経緯について― 黒木)同性愛者という、どちらかと言えばネガティブに捉えられがちなことと、僧侶というポジティブに捉えられることのアンバランスさで多くの方に伝えたいことがあるのですよね? 西村)僧侶は「ご住職」、その子どもである私は「ご子息」と呼ばれて育ちました。一方で、同性愛者の人は差別的に呼ばれることもあります。「その2つのアイデンティティが一緒になったらどうなるのだろう」と、社会の偏見を試すようなことをやってみたいなと思ったのです。 黒木)僧侶と同性愛者という。 西村)お寺に生まれて、同性愛者であるということは、選んだことではありませんが、お坊さんたちは「お坊さん」と呼ばれて崇められ、雲の上の人というように扱われる。それを必ずしも安らかな気持ちで思っているわけではないのです。「お坊さんらしくしなければいけない」というストレスを感じるのを私は見てきたし、同性愛者の人たちは、ありのまま自分たちのよさを見て貰えず、ストレスを感じているところもあると思います。 黒木)どちらもストレスを感じている。 西村)肩書きやセクシャリティではなく、心のなかを見て欲しいという気持ちがあります。私は僧侶と同性愛者という立場をミックスして、自分が同性愛者であるのを悩んでいたことや、みんなが尊重される大切さを話したいと思うようになりました。 黒木)浄土宗に入るときも、最初はあまり好きではなかったけれど、「知りもしないのに嫌いになるのはおかしいでしょう?」とお母さまに言われたと聞きました。 西村)私はディズニープリンセスが大好きだったので、髪を長く靡かせていたかったのですが、髪の毛を剃らないと修行に入れないのでハードルが高かったのです。私の母はピアニストなのですが、作曲の勉強をしていたときに、もし「モーツァルトの曲が嫌いだ」と思ったらモーツァルトの作曲法を勉強し、ピアノを弾いてみる。いろいろな作曲を勉強して、初めて「モーツァルトのここが好きではない」と感じたのであれば意味のある批判だけれど、少し聴いただけで「嫌だ」というのは意味のない意見なのだと言われました。それが偏見や差別につながる。きちんと知らずに「多分こうなんだろう」とみなしてしまう。 黒木)そうですね。