阪神からのドラフト指名に戸惑い…元虎戦士がかたる「甲子園がなかったら僕のプロ入りはなかった」
プロ野球の世界では引退や戦力外通告のニュースを目にすることが多くなったこの時期。昨年、戦力外通告を受けた一人が元阪神の北條 史也内野手(現・三菱重工West)だ。光星学院(現・八戸学院光星)では甲子園に4度出場し、2年夏から3季連続で甲子園準優勝を果たす輝かしい実績を手に、ドラフト2位で阪神に入団。4年目の2016年には自己最多の122試合に出場した。 【一覧】24年阪神・ドラフト指名選手 プロ11年目となった2023年、チームが日本一に輝いた一方で北條は一度も1軍に昇格することはなく、戦力外となった。プロの舞台を去り、北條が新天地に選んだのが社会人野球の三菱重工West。今年の都市対抗野球では本塁打を放つなど、加入初年度から中心選手として華々しい活躍を見せている。今回は北條の高校時代、阪神時代、そして、現在のことについて語ってもらった。
同級生・田村龍弘の存在
――出身は大阪府堺市ですが、青森県の光星学院に進んだ理由は何ですか? 北條 当時、光星学院の監督だった金沢 成奉さんが見に来られて、誘って頂きました。もともと誘ってもらったところに行こうと思っていたので、熱心に誘って頂き、信用してその人についていこうという気持ちでした。 坂本 勇人さん(巨人)の出身校ということで、僕もショートを守っていたし、坂本さんのようになりたいという憧れはありました。その高校に行けば、ちょっとは近づくかなという思いで決めさせてもらいました。 ――小学校からチームメイトの田村 龍弘捕手(ロッテ)と1年生からベンチに入って、秋からレギュラーになりましたが、下級生で試合に出るプレッシャーはありましたか? 北條 プレッシャーとかは別になくて、しっかりレベルアップしようということで、下級生の段階で活躍しないとダメだなっていう思いでやっていました。 ――高校1年生から試合に出られて、高校野球でも通用するなという手応えを感じた時期はありますか? 北條 1年の春に3年生のピッチャーと対戦して、やっぱり中学生のレベルとは全然違うなと感じました。その中でも田村はしっかり1年の春からレギュラーとして出ていました。僕はベンチには入っていましたけど、もっともっと頑張らないといけないなという思いでずっとやっていました。田村に勝ったと思ったことは一度もないです。それが僕の頑張れたところかなとは思います。 ――甲子園には2年春から4季連続で出場して、2年夏からは3季連続で準優勝でした。好成績を収めた要因はどこにあると思いますか? 北條 仲井 宗基監督がプランを立ててくれたことです。大会の1ヶ月前だったら、しっかり追い込んで、徐々に調子を上げていくというようなやり方をやっていたので、勝手に調子が上がったのかなと思っています。