高1の時、クラス全員から無視されて…1人で食べた母の弁当「ごはんですよ!」に号泣
ポロポロと涙が
しばらくすると、先生から連絡がきて「とにかく2学期はあと1日も休まないで来ないと留年だぞ」と言われていました。そのころ、ちょうど体育祭があって、行ってみたんです。そこでも誰も話してくれず、1人でお弁当を食べました。 お弁当を開けたら、もうポロポロ、ポロポロと涙が止まらなくて……。たぶん、お母さんとしては、「よかった。やっと学校に行ってくれる」と思って、めっちゃ張り切ってお弁当を作ってくれたんですよね。中には、私の好きなものがたくさん入っていて、すっごい豪華だったのを覚えています。 私、海苔の佃煮の「ごはんですよ!」が大好きなんですが、それがご飯の上にのっていて……。それを見て、下を向いて、ポタポタと泣いていました。「やっぱり、学校には行けないや」と思って。 結局、2学期はほとんど学校に行けなくて、3学期は1日も行けなくて、留年が決定して、その学校をやめました。 学校に行ってない間は、ほとんど自分の部屋に引きこもっていました。朝にまず弟が出ていき、お父さんが出て、パートをやっていたお母さんが出ていくんです。家に誰もいなくなってから、自分の部屋を出て、用意された朝ご飯を食べていました。 それから、「笑っていいとも!」「ごきげんよう」を見て、昼ドラマを見て、ずっとテレビを見ていました。夕方になったら弟が帰ってくるので、また自分の部屋に戻って引きこもっていました。 当時はインターネットもないので、部屋では本を読んだりしていました。本当に病んでいたので、言えないようなひどい行為をしたりして、親にばれてすごく怒られましたね。 高校は別の学校を受けなおして、再入学しました。1つ年が上でダブって入っているので、それがバレたくないから、極力友達は作らないようにしていました。1年生の間は、なるべく誰とも口をきかずに、授業を受けて、帰るみたいな生活をしていました。
逃げて正解だった
でも、私はこういう性格なんで、友達が欲しくてしょうがない。それで、2年になったら、たまたま声をかけてきた子と、急速に良くなりました。もうそこからは“コギャル”一直線で、やまんばみたいな格好をしていました。 ルーズソックスをガンガン履いて、校則をバンバン破って……。親としては、「もう学校に行ってほしいけど、こうなってほしいとは思わなかった」と残念そうでした。ただ、母親は「友達と楽しそうだから、もうそれならいいや。人様に迷惑さえかけなければいい」と、かなり寛容に見てくれましたね。 すごく楽しい高校生活を2年送って、そのまま、本当に“パリピ”な感じになっていきました。その後、ファッション雑誌などに出させてもらうようになったんです。 振り返ると、あのまま最初の高校にいたら、本当にヤバかったです。狭い世界にいて、そこから逃げ出した形になりましたが、逃げて正解だったなと思います。母親からは「あなたは悪いことをしていない。自信をもっていきなさい」と言われて、その言葉は支えになりましたね。
第6回は、クラリオンガールに選ばれ、芸能界入りした当時を振り返る。 原千晶 1974年、北海道生まれ。94年、「クラリオンガール」に選ばれ芸能界デビュー。2011年、「よつばの会」を設立。 デイリー新潮編集部
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