「砲弾の音が…涙が止まらなかった」 ロシア侵攻2年…浜松市で学ぶウクライナ女性②
3月、浜松市の学校を卒業した4人。彼女たちは、1年半前にウクライナから避難してきた学生です。来年度に向けて、新たなスタートを切ろうとしていました。
卒業し、新しい生活をするヴィーラさんに話を聞いてみると…。 伊地健治アナウンサー:初めて自立した生活ですけど不安はないですか? ヴィーラさん:「ワクワクしてる」 ウクライナでは、首都キーウに住んでいました。大学に通いながら、銀行の仕事をしていたそうです。10代の頃にみたアニメや、神社など日本の文化に惹かれ、いつしか日本で暮らすことが、夢に。 しかし、その日は思いがけなくやってきました…
「遠いところから砲撃の音が」
ヴィーラさん:「私は仕事をやりながら遠いところからの砲撃の音が聞こえた」 伊地アナ:キーウにいて、攻撃の音が聞こえたんですか? ヴィーラさん:「そうそう」 伊地アナ:どんな気持ちだったんですか? ヴィーラさん:「大変。本当に大変。心がグッとなって涙が止まらなかった」 ロシアの侵攻から3か月間、ヴィーラさんの家族は戦火を逃れ、何度も引っ越しを繰り返しました。
伊地アナ:家族と離れて日本に来る決断はどうして? ヴィーラさん:「これは夢だから叶えよう。夢は叶えよう…という感じ」 伊地アナ:それは例え戦争が始まったとしても? ヴィーラさん:「はい。悲しい状態だけど、思いもしなかった状態だけど」 非常時でも後押ししてくれたのはお母さんのビクトリアさん。 ヴィーラさん:「お母さんは最初悲しそうだったけど、私の夢をわかっていたので、許してくれたかな」
「入学当初は日本語が話せず、不安そうだった」
隣国ポーランドで、国外避難を手助けする団体が支援し、無事に日本に着いたヴィーラさん。 当時を知る受け入れ先の校長先生は… オイスカ開発教育専門学校 中野與一郎校長:「シェルターへ逃げ込むような毎日をずっと過ごしている中で、日本にようやくやってきた。だいぶ疲れの色がありましたね」
来た当初は日本語も話せず、いつも不安そうだったというヴィーラさん。仲間と過ごす日々に、本来の明るさを取り戻していったといいます。その頃からはじめたアルバイト。寮のすぐ近くの観光スポット『ぬくもりの森』での受付業務です。