小学生だったあの将且くんが…おじいちゃんとの〝約束〟果たした琴桜
【ベテラン記者コラム】 琴桜が昭和49年名古屋場所以来、半世紀ぶりに復活した。新大関の春場所は本人が希望し、父で師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)の名で土俵に上がった琴ノ若が、昇進2場所目となる夏場所から、元横綱だった祖父のしこ名を襲名した。初日は右のど輪で大栄翔を押し込んだが、逆襲を受けて押し出された。 「今思えば、とんでもないことを言ったなと思う。でも、もう一つ上の番付がある。先代も『そこを目指せ』と言うでしょう。まだ満足していないはず」 記者が大相撲担当をしていた平成17年から3年間、千葉・松戸市の佐渡ケ嶽部屋へ取材に出向くと、稽古場には少年の姿があった。学校に通う時間まで稽古に励む力士たちを熱心に見つめる小学生の鎌谷将且くん。当時は親方衆や力士から「かっちゃん」と呼ばれかわいがられていた。 稽古場の上がり座敷に一緒に座り、相撲のいろはを教えてくれたのは、母方の祖父である先代師匠の佐渡ケ嶽親方。現役時代は強烈なぶちかましで「猛牛」の異名を取った。幕内優勝5回の元横綱だった祖父は孫が相撲大会で2位となり、うれしくなって銀メダルを見せに来ると、「銀メダルってことは誰かに負けたんだろ!」と叱った。それ以来、将且くんは金メダル以外は車の後部座席に隠すようになった。 小4のときにおじいちゃんと〝約束〟を交わしていた。「いつになったら琴桜になれるの」と問うと先代師匠はいった。「大関に上がったらいいぞ」。19年8月、祖父は66歳で亡くなった。将且くんは小学校卒業後に親元を離れ、埼玉栄中・高で山田道紀監督の指導を受け、27年九州場所で初土俵を踏んだ。 令和元年名古屋場所で新十両昇進が決まった際、父のしこ名を継ぎ、琴鎌谷から琴ノ若に改名。同時に名前も祖父の「琴桜傑将(まさかつ)」から一文字もらい、字画も考慮し「琴ノ若傑太」と決意を刻み込んだ。今回の改名で下の名前も「傑太」から「将傑」とした。本名の将且と同じ読み方で祖父がしこ名で使用した「傑将」をひっくり返した形となった。「約束を守れたのは良かった。自分の手でつかめた」と感慨に浸った。 新大関の先場所は10勝に終わり、今場所は初優勝を目指す。佐渡ケ嶽親方は「花といえば桜、相撲といえば琴桜」と呼ばれるように願い「強く、愛される力士に育ってほしい」と一層の成長を求めた。
部屋の稽古場の上がり座敷には、先代の優勝額や純白の綱が今も飾られている。「先代には追いつきたいと思っている。つかめる地位まで来たので、上がれるようにやっていく」。愛情を注いでくれた亡き祖父に、横綱昇進という形で恩返しする。