“恩師3人”を甲子園へ 古豪・磐城、新監督とともに「喜びも苦しみも」
10日開幕した2020年甲子園高校野球交流試合では、新型コロナウイルスの感染拡大に翻弄(ほんろう)された選手たちが今季一番の舞台で躍動する。4月には緊急事態宣言が全国で発令され、ほとんどの学校で部活動が休止された。第4日第2試合に登場する磐城(福島)はコロナ禍の苦境に加え、46年ぶりのセンバツ出場へとチームを育て上げた恩師との別れも重なった。揺れ動かされ続けた感情を乗り越え、新監督とともにチーム一丸、センバツ交流試合に臨む。 【動画】教え子のサプライズに涙 磐城高監督が最終ノック センバツの中止は衝撃だった。昨年10月の台風19号で地元が大きな被害を受ける中、秋季東北大会で躍進。21世紀枠でセンバツ出場を決め、1971年の夏に準優勝した古豪の復活に地元も沸いた。しかし、チームを育ててきた木村保監督や大場敬介部長、阿部武彦校長は3月末で異動し同校を離れる予定だったため、センバツ中止で「恩師との甲子園」を失った。 それでも、「3人を甲子園へ」と夏に向けて気持ちを切り替えた選手たち。後任として母校を率いることになった渡辺純監督(38)は4月2日朝、グラウンドで初対面の選手たちを前に「3人を甲子園に連れて行こう。俺もお前たちと同じ気持ちだ。一緒に甲子園を目指したい」。自分たちの思いを新監督に背負わせていいのか。選手たちのそんな葛藤を、新監督の第一声が吹き飛ばした。すぐに打ち解け、グラウンドに笑い声が響くようになった。 ところが、政府は4月16日に緊急事態宣言を全国に拡大。監督就任後、2週間あまりで部活動を休止せざるをえなくなった。選手たち個人の連絡先すらほとんど分からない。何もしてあげられないもどかしさに悶々(もんもん)とする日々が続いたが、夏の甲子園中止が決まった2日後の5月22日、休校中の学校に全員を集め、思いを語った。「大人の勝手かもしれないけど、俺は今、ただお前たちと野球がしたい。それだけなんだ」 県内屈指の進学校。最大の目標を失い、受験勉強に専念しようと引退を考える3年生もいた。渡辺監督の言葉に呼応するように、岩間涼星主将や沖政宗投手らが仲間を説得した。岩間主将は「自分の思いをまっすぐに伝えてくれた。最後まで一緒に頑張りたいと思えた」。練習を再開した6月8日。グラウンドには部員32人全員が顔をそろえた。 6月10日、センバツ交流試合の開催が決定。「甲子園で高校野球を終われるなんて、お前たち最高だな」。選手たちに語り終えた渡辺監督はほっとした表情を見せた。報道陣に意気込みを聞かれた選手たちは「3人のために」だけでなく、「純先生のためにも」と自然と口にした。 休校期間が終わり、就任後初めての練習試合があった6月14日。帽子やアンダーシャツなどコバルトブルーの伝統のユニホームに袖を通した渡辺監督はつぶやいた。「こいつらと野球ができるって、いいですね」 ナインと白球を追った時間は長くはないが、築いた信頼は揺るがない。「野球を通して知った喜びも苦しみも財産になることが、最後に伝わればいい」。多くの困難を経験した選手たちに、存分に甲子園を楽しんでほしいと願っている。【磯貝映奈】